東海道本線の三島-函南間を行く、急行 「東海」 であります。
平成8年の廃止時 (特急に格上げ~373系化) には、ヘッドマークやグリーン車等級帯の復活 (再現) などで大いに盛り上がったのは約20年前の話とはいえ、覚えてらっしゃる方も多いかと思います。私なんか 「165系だけど、いっそのこと前面の塗り分けを153系っぽくしちゃえばいいのに・・」 と思ったものです。
あれからもうすぐ20年が経とうとしているということで、時の流れの早さにあらためて驚いてしまいます。
「東海」 は東海道本線で最後まで残った電車急行の一つであると同時に、廃止までグリーン車が連結されていたという点でも、東海道における “名門列車” の名に恥じないフィナーレだったと思うのは私だけではないかと思います。
「東海」 の歴史を語る上で避けて通れないのが80系電車と153系電車の存在。
昭和30年に客車を使った東京-名古屋間の準急でスタートした 「東海」 ですが、昭和32年に電車化された時から二等車 (→グリーン車) が2両連結されていました。全金属製の300番台によって電車化された 「東海」 はたちまち人気列車になるのですが、時代は既にその年にデビューしたモハ90系 (→101系) の基本設計を踏襲した次世代電車の開発・製造に傾いており、80系に代わる準急用電車モハ91系電車 (→153系) が昭和33年に登場し、準急 「東海」 「比叡」 に早速投入されました。というわけで、80系の 「東海」 は1年持ったか持たなかったかという儚い歴史でした。80系は 「湘南形電車」 と呼ばれましたが、153系に関しては当初、 「新湘南形」 と呼ばれる予定だったとか。しかし、実際には 「東海形」 と呼ばれており、153系と 「東海」 の関係の濃さがよく解ります。因みに20系客車は 「あさかぜ形」 、151系電車は 「こだま形」 、キハ81系気動車は 「はつかり形」 、キハ82系気動車は 「白鳥形」 、157系電車は 「日光形」 、581系電車は 「月光形」 と、それぞれ異名がありました。
昭和33年以来、長きに渡って153系が使用された 「東海」 ですが、老朽化が深刻さを増していたため、昭和57年11月から165系に置き変わり、平成元年には受け持ちが大垣電車区 (名カキ~現在のJR東海大垣車両区) から静岡運転所 (静シス~現在のJR東海静岡車両区) に移管しました。
話を153系を使ってた頃に戻しますが、昭和43年から運行を開始した東京-御殿場間の急行 「ごてんば」 を併結しまして、こちらは165系を使用したため、東京-国府津間では 「東海」 「ごてんば」 の15両編成となりました。それで今更ながら知ったのですが、153系と165系は互換性があって、混結が可能なんですね。153系と165系は外面はよく似ていますが、搭載モーターや制御器の違い、勾配用抑速ブレーキの有無などから、互換性が無く、混結は出来ないと思っていました。ただ、実際には京阪神の新快速の一部で153系と165系の混結が存在しましたし (但し、165系はクハのみで電動車は全車153系) 、山陽本線でも153系の基本編成にクモハ+モハという165系のユニットを繋げていたこともしばしばありましたので、普通に有り得たんだなと。但し、165系と153系が混結した場合は、165系のアイデンティティの一つでもある抑速発電ブレーキは使えないことになりますが。
この 「ごてんば」 は、運行開始当初は165系の3両編成だったのですが、昭和56年に167系に置き変わりました。167系はクモハが存在しないため、4両が基幹編成となります。その結果、 「ごてんば」 も4両編成となりまして、さらに 「東海」 も12両編成は崩れなかったため、東京-国府津間は何と16両編成になったのです。私の記憶が確かならば、この 「東海」 「ごてんば」 の16両編成は、国鉄の電車急行の中では最も長い編成だったんじゃないでしょうか。私も子供心に 「16両 (編成) ってすげぇなぁ。新幹線並みじゃんっ!」 って妙に興奮したのを覚えています。
「ごてんば」 は昭和60年3月改正で廃止されまして、以降は 「東海」 の単独運用となるのですが、画像はその直後、 「ごてんば」 編成が削られて身軽になった頃の撮影と思われます (もっとも、 「東海」 が身重なのは 「ごてんば」 をつないでいる東京-国府津間であって、国府津-静岡間は普通に身軽なんですけどね) 。しかし、身軽になったとはいえ、それでも12両編成は崩れなかったんですね。特急にしても急行にしても、優等列車はやっぱり10両以上の長い編成がお似合いです。それも冒頭でお伝えしたように、グリーン車2両付きですからね。これは特筆すべき事かと思います。
新幹線開業後も “庶民の足” として君臨していた急行も特急格上げや列車そのものの廃止などによって徐々に姿を消していきました。民営化の段階で残されたのは 「東海」 「富士川」 、そして岐阜-大阪間で東海道本線を走る高山本線の急行 「たかやま」 だけとなっていたのですが、 「東海」 と 「富士川」 は平成17年に特急に格上げされて、使用車両も165系から373系に置き変わりました。373系はこの他に飯田線を走る特急 「伊那路」 や “大垣夜行” が格上げされた快速 「ムーンライトながら」 にも使用されるようになりました。なお、 「富士川」 は、特急格上げを機に、平仮名の 「ふじかわ」 に改められています。
さて、 「東海」 「富士川」 が特急格上げされた平成17年3月改正の段階で、東海道本線を走る昼行急行列車は大阪-高山間を結ぶ 「たかやま」 だけとなりました。電車急行ではありませんが、アコモが改善されて、外板塗色が変更されていたものの、当時のキハ58系使用急行としては殆ど唯一のグリーン車連結とあって、 「東海」 同様、こちらも大きな盛り上がりを見せていたのですが、平成11年12月に廃止されて、ここに東海道本線の昼行急行列車は全て消えたことになります。
一方、 「東海」 ですが、 「ふじかわ」 とともに東海道本線三島-静岡間において、久々に昼行特急列車が復活したことになります (東京-熱海・三島間では 「あまぎ」 「踊り子」 が従来から運転されていたため) 。それこそ昭和39年10月の東海道新幹線開業時まで遡るんじゃないでしょうか。しかし、現実はそう甘くなく、東京-静岡間はやはり新幹線がメインで、新幹線が停まらない駅をカバーするとは言っても、特急列車が停まる駅には新幹線も普通に停まりますし、高速バスも普及していることから、利用者は減少の一途を辿り、 「東海」 はついに平成19年3月に廃止になってしまいました。
あらためて画像を眺めますと、ホントに気持ちの良いくらい長い編成です。153系で運転されてた頃は、貫通編成の12両だったのですが (←静岡 Tc153-M'152-M153-Ts165-Ts165-M'152-M153-T153-T153-M'152-M153-Tc153 東京→) 、165系置き換え時には8+4の12両編成になりました (←静岡 Tc165-M'164-M165-Ts165-Ts165-M'164-M165-Tc165+Tc165-M'164-M165-Tc165 東京→) 。これに 「ごてんば」 の165系 (56.10改正からは167系) が組み込まれるんですから、今の2~4両で 「特急でございっ!」 と威張って闊歩している列車からすれば、まさに神話の世界かもしれませんね。さらに特急は特急で、急行は急行で、普通は普通で・・といった感じで、国鉄の車両はそれぞれ “適材適所” というのがありました。今のように、普通用の車両を特急に使うというのは国鉄全盛期には有り得ない話だったわけですから (国鉄末期からその慣わしが崩れた) 、この165系 「東海」 は、 「急行形が最も急行形らしく、165系が最も165系らしかった」 最後の時代だったのかもしれませんね。
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
鉄道ピクトリアルNo.867 (2012年10月号) 「特集:165・169系電車」 (電気車研究会社 刊)
キャンブックス 「国鉄急行電車物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア ( 「ムーンライトながら」 「東海 (列車) 」 「ふじかわ (列車) 」 「ひだ (列車) 」