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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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JNR LEGEND (552)

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「これは、EF81じゃないっ!」

今でも耳に残る、幼児期における私の発した言葉です。
存在を知ったのは、ブルートレインの存在を知った時にリンクするのですが、同じ関門トンネル専用機としてEF30の存在は既に知っていたようです。でも、 「EF81といえばピンク色」という図式が出来上がっている私にとって、銀色のEF81なんてこの世に存在しないものと信じ切っていたし、ましてや関門トンネルだけで使用される機関車だなんて、幼心に絶対に信じなかったですね。でも後々、半強制的に 「銀色のEF81は存在するんだ」 という認識を植え付けさせられてしまいます。まぁ、強制的だろうがそうじゃなかろうが、 「銀色のEF81」 は紛れもなく存在するんですけどね。ただ、事実上の “敗北” を喫した小学生の私にしてみれば、 「 (銀色のEF81は) 存在しない」 と信じていただけに、自身の鉄道趣味歴において、深い挫折を味わうことになります。

戯言はそれまでにして、1号機の登場からもうしばらくすると50年になろうかというEF81の300番代 (因みに、EF81 1号機が誕生して今年で50年) 。後釜として既にEH500が定着している関門間では、EF81が列車を牽引することはないのだそうですが、不思議と300番代は1両の廃車も無く、九州内で貨物列車の牽引を細々と行って余生を過ごしているのが現状なんだそうです。

関門トンネルは昭和17年に開通しましたが、当時から電化されておりました。ただ、九州側の抗口である門司駅構内は当時は直流電化だったため、専用機関車としてEF10が用意されました。
昭和36年に鹿児島本線の交流電化とともに、門司駅構内も交流電化されまして、交直両用のEF30形が新たな関門トンネル専用機として登場しました。関門トンネル内は直流電化のままで、門司駅構内に交直切換のデッドセクションが設けられています。

EF30は長らく、関門トンネルの “主” として一党独裁の時代が続きますが、旅客、貨物問わず、関門間の列車の増発によって、EF30だけでは手が足らなくなってきました。そんな状況下、昭和48年に関門トンネルの専用機が増備されるのですが、EF30ではなくて、日本海縦貫線で活躍していたEF81に白羽の矢が立ちます。同じ時期に東京地区にもその姿が見られるようになったEF81は、着々とその存在感を見せつけるようになっていまして、関門間においても期待されていました。ただ、海底トンネルを通るということで、塩害が不安視されたことから、車体をステンレス製にしたグループが製造されることになります。一般形とは仕様が異なるため、300番代と区分されました。なお、300番代の製造目的 (予算要求) は 「九州内フレートライナー増発用」 です。ブルートレインの増発ではなくて、貨物列車の増発を表向きの (製造) 理由だったんですね。勿論、営業運転開始後は、フレートライナーだけでなく、ブルートレインも牽引しています。

EF81 300番代の登場譚は、EF30を置き換えるのが主目的ではなく、あくまでも列車増発によるもの。ですから、運用も共通だったと思われますし、製造両数も4両に留められました。
共通運用であることをブルートレインに置き換えると、関門間の牽引がEF30の時もあれば、EF81の時もあるということ。貨物列車も同様ですが、EF30では至極普通に見られた重連運用は、EF81にはあったのでしょうか? また、重連運用もEF30とEF81の重連は無かったみたいです。EF30とEF81ではパワーに違いがあるのと、メカニズム的にも両車で違いがあるから、重連が出来ないのかもしれません。

301~304号機全機が揃うのは昭和50年になってから。力の差こそあれ、EF30のフォロワーとしてブルートレインから貨物列車まで八面六臂の活躍を見せるEF81 300番代。そんなEF81 300番代に転機が訪れるのが昭和53年。関門間の貨物列車が減便されて、機関車に余剰が生じるようになりました。EF30にしてもEF81 300にしても交直両用の万能機関車ですので、架線があればどこでも運用は可能なんですが (温暖な平坦区間だけね) 、国鉄はEF81に白羽の矢を立て、301号機と302号機の2両を何を思ったか、福島県の内郷機関区に転属させて常磐線で活路を見出すことにしました。その結果、 「関門トンネル専用」 という “ご当地機関車” が、首都圏で見られるようになったのです。残った303号機と304号機はそのまま、関門間で働くことになりますが、EF81が2両しかいなくなったということは、必然的にブルートレインの牽引もEF30が目立つようになります。

しかしそれも束の間、今度は老朽化が問題視されたEF30を本格的に淘汰することになり、都会に出稼ぎに行っていた301号機と302号機が門司に呼び戻されることになり、昭和60年に時間差はあるものの、2両とも門司へ戻っていきました。そして一般形から関門用に改造された400番代とともに、EF30を置き換えていくことになります。結果、EF30はJRに引き継がれること無く、民営化直前の昭和62年に全廃されてしまいました。EF81 300番代はその後も関門の “主” としてEF30よりも長く政権を担うことになりますが、前述のように、現在ではEH500のクーデターによって、関門間では失脚してしまい、一時期、北陸に “亡命” していた時期もありましたが、やはり門司に戻されています。

画像は303号機です。撮影日が昭和49年7月だそうです。そして303号機は同年4月に落成していますので、まさにデビューして間もない頃の303号機ということになります。今はJR貨物に籍を置き、鹿児島本線や日豊本線などで貨物列車の牽引に勤しんでいます。九州島内ですと、ED76が牛耳っていましたが、老朽化に伴って、EF81によって置き換えられています。

存在を認めなかったけど、今は末永い活躍を祈るばかりです。

【画像提供】
岩堀春男先生

【参考文献・引用】

季刊 j train Vol.30 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (国鉄EF81形電気機関車、関門トンネル)

( 「JNR LEGEND」 アーカイブス)
常磐線に転じたEF81 300番代についてはこちらを。





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