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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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JNR LEGEND (546)

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新幹線の歴史において、 「歴史に名を残す車両」 というのはいくつもあると思います。新幹線計画において、時速200キロを技術的、物理的に成功させた試作車の1000形、そしてその量産タイプで現在もなお、 「新幹線の代名詞」 的な存在である0系、 「雪や寒さに弱い新幹線」 をエンジニアの懸命な努力で技術的にその難関を克服し、豪雪地域の上越方面や東北方面へも新幹線を通すことが出来た200系、時速300キロの夢を実現させた500系など、挙げたらキリがないですが、個人的には画像の車両もまた、新幹線の歴史に無くてはならない名車両だと思っています。国鉄末期の昭和60年に登場した100系は、単に0系を置き換えるためのモデルチェンジ車ではなく、時速200キロの高速運転を行いながら、それでも東京-大阪間、東京-博多間の移動を退屈させないアイテムを盛り込み、 「移動空間の愉しみ」 を提案し続けた車両であると思います。結果的にはその 「愉しみ」 は程なくフェードアウトしてしまいましたが、100系がもたらした功績は多大なものがあると思います。

昭和39年に開業した東海道新幹線。昭和47年には山陽新幹線も開業し、昭和50年に博多まで全通。この時の主役は言うまでもなく0系でした。そんな0系も、開業時に投入した車両の老朽化が懸念されるようになりました。たかだか12年、在来線の車両であればまだまだ働き盛りですが、年がら年中200km/hを出して走っていれば、そりゃあガタもきます。そこで、昭和51年から開業時の車両を置き換えるべく、客室の側窓を小さくした1000番代が製造されるようになり、さらに昭和56年にはアコモデーションを200系と同等にした2000番代も登場して、0系を0系で置き換えるというフローが当たり前のように続けられました。しかし、全体的に見れば、やはり0系は造られ過ぎまして、国鉄の分割・民営化が議論し始めてそれが具体化に向けた動きになると、将来的な民営化の際に、新時代に相応しい新型車両を造っても良いんじゃないかという機運が高まり、昭和50年代後半からそのプロジェクトが始まりました。

0系や200系で培ったノウハウをふんだんに採り入れ、さらに0系や200系では採用しなかった新機軸やアイデアも盛り込みまして、100系は現実のものになろうとしていました。そして昭和60年春に試作車9000番代16両が日本車輌で落成して、東京 (東京第一運転所~現在のJR東海東京交番検査車両所) に送り込まれました。それが1枚目の画像になります。
団子っ鼻の0系も愛着あって人気がありましたが、100系の先頭車は騒音と空気抵抗の低減を図るため、0系よりも鋭角な流線型になりました。前照灯と尾灯を兼ねたライトは、0系の縦2灯から横2灯に変更され、細長いケースに入れられました。このため、 「目つきの悪い新幹線」 とか、 「ガンを飛ばす新幹線」 などと揶揄されてしまうことになります。前灯はそのまま点灯することになりますが、後部はそこに赤いフィルターを被せて (自動的に被る仕組み) 、尾灯の役割を果たします。

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そして、100系最大のセックスアピール・・・じゃなくて、セールスポイントは何と言っても、二階建て車両の導入でしょう。今でこそ、二階建て車両は新幹線のみならず、在来線でも百花繚乱になっていますが、勿論、国鉄初となります。
編成中央にグリーン車と食堂車が連結されますが、これを二階建てとしました。
二階建て車両1枚目が食堂車 (168形) で、2枚目がグリーン車 (149形) です。
食堂車は二階部分が食堂で、一階部分を厨房としました。グリーン車は二階部分を通常のグリーン席として、一階部分は個室 (コンパートメント) を採用しました。コンパートメントは個室寝台や欧風客車で実績がありますが、一般営業用の車両としては国鉄初じゃないかと思います (もっとも、戦前の客車にそのような仕様の車両があったかもしれませんけどね) 。
個室グリーン車は10室あり、そのうち6室は3人用、4室が1人用という構成になっています。室内には電話が設置されており、車掌や売店につながります。さらにオーディオも設置されており、自前のイヤホンを繋げれば、音楽を聴くことも出来ます。
個室は平屋のグリーン車 (116形) にも設置されており、こちらは1人用と2人用がありました。

食堂車は前述のように、厨房が一階にありますが、出来た料理は専用のエレベーターで二階に運ばれ、ウェイターやウェイトレスがテーブルに運びます。食堂車の壁面にはエッチング加工を施した国鉄歴代の車両を描いたパネルが取りつけられています。
なお、食堂車のメニューは個室グリーン車に “出前” することが出来、前述の内線電話でオーダーすれば、運んでくれるというサービスがありました。

この3枚の画像は昭和60年3月8日に撮影されたものだそうで、同年3月27日に東京-三島間で公式試運転を実施しています。それから半年かけて乗務員の習熟を兼ねた各種試運転を実施し、この中で速度向上試験も実施。この時の最高速度は小郡 (→新山口) -新下関間で記録した260km/hでした。

0系はオールM編成でしたが、100系は機器類の進化なども含めて試作車基準で12M4Tとしまして、初めて付随車が誕生しました。先頭車と二階建て車両が付随車となります。

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これが実際の試運転の様子だそうです。
試作車だけ客室の側窓が正方形の小型になっていて、量産車からは長方形の大窓になりました。また、試作車の区分が9000番代になっていますが、おそらく計画段階では100系で0系を全面的に置き換えるつもりだったのでしょう。そうすると、0系では26形式が900番を越えていたことから (700番代の通し番号として) 、それを見越して9000番代にしたのだと思われます。

昭和60年10月1日、東京駅を8時に発車する 「ひかり3号」 と博多駅を15時45分に発車する 「ひかり28号」 で鮮烈なデビューを果たし、まだ 「のぞみ」 や 「はやぶさ」 がない時代、100系を充当する 「ひかり3号」 と 「ひかり28号」 は新幹線の中でもフラッグシップの列車となりました。
私は当時、高校1年でしたけど、ちょうど通学時に 「ひかり3号」 が発車するんですね。大概が浜松町か田町で邂逅してそして抜かれていくのですが、0系一色だった時代に100系の存在は一際目立ちましたし、羨望でもありました。折りしも山手線には103系に代わる新型の205系が投入され始めており、時折ではありましたが新幹線の100系が並走するシーンは、 「国鉄に新しい時代が来た」 と印象づけるものとなりましたね。

翌年から量産が始まりますが、前述のように量産車は大窓となり、量産車の第一陣は 「こだま」 編成として二階建て車両の無い12両編成で落成しました。やはり、計画段階では 「ひかり」 が二階建て付きの16両、 「こだま」 が二階建て無しの12両とするようでした。最終的には 「こだま」 編成にも二階建てが組み込まれて16両編成となりましたが、運用の共通化とか、保守の兼ね合いとか、現実的な問題があったからなんでしょうね。

民営化後はJR東海とJR西日本が保有することになりますが、JR西日本が独自に製造した車両には二階建て車両が4両も連なる 「グランドひかり」 編成がお目見えし、JR東海の編成からフラッグシップの座を奪いました。JR東海は奮起するのかと思いきや、逆に食堂車をラインアップから外し、代わりに弁当や飲み物などをショーケースに置いて販売する 「カフェテリア」 車両に取って代わりました。コンビニみたいな車両でしたが、人件費の問題や食材の管理の問題等々で次々に編成から外されてしまいます。X編成が食堂車組み込み編成、G編成がカフェテリア組み込みの編成で分けられていました。

平成4年に300系が登場し、当初こそ 「のぞみ」 専用でしたが、徐々に 「ひかり」 に侵攻してくると、100系は特にG編成が 「こだま」 に用いられるようになり、 「こだま」 で余生を過ごしていた0系を置き換えていくことになります。平成12年には東海道区間で定期の 「ひかり」 運用から撤退し、その3年後に東海道から100系が撤退しました。残るは山陽区間ですが、既に500系や700系といった次世代新幹線が台頭しており、専ら 「こだま」 運用に限定されていましたが、平成24年をもって定期運用から撤退し、100系は引退していきました。

新幹線に何を望むのか。そりゃあ、東京-大阪-博多間を出来るだけ短時間で到達出来ることにあるわけですが、本当にあっという間に目的地に行きたいのであれば、飛行機を使えば良いこと。新幹線には早く目的地に行くだけでなく、鉄道移動で欠かせない 「移動空間をより良いものにする」 というのも加味して良いと思います。東京-名古屋-新大阪間ではさすがに必要ないかもしれませんが、東京-博多間を通しで利用する乗客のために 「グランクラス」 みたいな設備車両もあって良いと思うし、また、食堂車とまでは言わないにしても、供食設備を持った車両も組み込んで良いんじゃないかって気がします。100系は時代を先取りし過ぎたのかもしれませんが、登場時の100系みたいな車両やアミューズメント性を持った車両を新幹線に望むのはダメ?

【5枚とも画像提供】
け様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.403 (交友社 刊)
鉄道ジャーナル別冊 「懐かしの国鉄 現場」 (鉄道ジャーナル社 刊)
復刻・増補 「国鉄電車編成表 1985年版」 (交通新聞社 刊)
時刻表 1986年8月号 (日本国有鉄道 刊)
ウィキペディア (新幹線100系電車)











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