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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (521)

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私の大好きな車両に、24系25形寝台客車のカニ24 100番代があります。
のっぺりした切り妻の前面形状がお気に入りで、折り妻の0番代よりも断然支持します。
そして、このカニ24 100が私にとって羨望の列車だった 「富士」 に充当されようものなら、殆ど発狂に近い喜び方だったんでしょうね、きっと。その二つの 「大好き」 がこの画像に収まっているということで、まさに 「Excellent!」 な一枚になります。

でも、カニ24 100が殿の 「富士」 ってあまり (雑誌等で) お目にかかったことがないんですよねぇ~。 「富士」 や 「はやぶさ」 、そして 「出雲 (下り1号、上り4号) 」 は大概がカニ24の0番代でしたから。逆に 「あさかぜ」 と 「瀬戸」 が100番代メインだった記憶があります。当時の 「あさかぜ」 の下り3号と上り2号、そして 「瀬戸」 は下関運転所 (広セキ~現在のJR西日本下関総合車両所運用研修センター) と広島運転所 (広ヒロ~現在のJR西日本下関総合車両所広島支所) が受け持っていて、基本編成を下関、付属編成を広島が担当していました (53.10までは 「安芸」 も担当) 。
下関に配置されていた電源車はやはり100番代だけで、101~108の8両が在籍していました。逆に品川客車区 (南シナ~後のJR東日本品川運転所) には109~112の4両しか配置されていなかったので、 「富士」 「はやぶさ」 「出雲」 にくっつくシーンが少なかったのも無理からぬこと。故に、特に運用上の分け隔てみたいなのは無かった筈ですが、何故か 「あさかぜ (下り1号、上り4号) 」 にくっつくことが多くて (ブルートレインの本や雑誌等の写真で検証) 、0番代が殿の 「あさかぜ」 は殆ど見たことがありません。
「はやぶさ」 も 「富士」 も 「あさかぜ」 も 「出雲」 も客車に関しては共通運用でしたので、運用のサイクルから 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 で何回かに1回は100番代がくっついていたでしょうし、 「あさかぜ」 も何回かに1回は0番代がくっついてたことでしょう。
そういう意味で、私にとって、100番代がくっついた 「富士」 、雑誌 (※) に載っている0番代の 「あさかぜ」 はレア以外の何者でもありません。

24系25形100番代は、昭和51年に登場しました。
「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 は、昭和50年3月から24系24形を使用するようになりましたが、今度は上野発着の寝台特急の近代化、つまり、 「ゆうづる」 や 「日本海」 で使われていた20系寝台客車の老朽化が深刻化されていたので、 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 を新車に置き換えて、これによって炙れた24系24形を青森運転所 (盛アオ~現在のJR東日本盛岡車両センター青森派出所) に転出して一部の 「ゆうづる」 や 「日本海」 を24系化するというフローが実施されました。この新車が100番代になります。
マイナーチェンジした25形は、オハネ25とオハネフ25の上段寝台を最初から固定化して、寝台のセットと解体を省力化したことが大きな特徴点で、寝台側の窓を些か小型化されて、上段寝台の利用者は窓から景色が見えなくなりました。
オハネフ25は切り妻となり、一定方向に連結することを念頭に置いたことから、方向転換が出来ない片渡り構造としました。両渡り構造にすると、1両だけ寝台の向きが逆になるから、向きを一定にするためだと言われています。

寝台車の増備分には折り妻の0番代が同時に製造されましたが、カニ24の0番代と100番代の違いは、何も切り妻か折り妻かの差だけでなくて、外から中まで少しだけマイナーチェンジが施されています。
昭和51年度第一次債務で発注がかけられた増備車は、荷物室が従来の3tから5tに拡大されたことから、全長が伸びて19m車体となりました (0番代は18.5m) 。
また、0番代は非貫通でしたが、100番代には貫通扉が付きました。ただ、説明するまでもないとは思いますが、あくまでも非常用の扉です。そのため、貫通幌が取り付けられず、実際に通路もありません。
燃料タンクの防火機能を強化し、その容量は運用区間の変更に伴って在来の2,200㍑から2,000㍑に減らしました。

しかし、25形100番代最大のセールスポイントは、やはり個室寝台オロネ25の登場でしょう。
「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 を25形化する際、運転区間の関係による旅客の需要に応じて、プライバシーの確保という観点から、また、東京駅発着というプライドも加味されて、個室寝台が検討されました。個室寝台は戦前から存在し、20系客車でもナロネ20とナロネ22に一人用個室と二人用個室が設置されていましたが、オロネ25は初のオール一人用個室として設計されました。昼間はソファー (っぽく) 、夜になるとその座位置を手前に引くことによってベッドに早変わりします。また、洗面台も付いており、空調も各部屋ごとにスイッチが取り付けられていて、個室利用者が個々に調節出来るようになっています。寝台化あるいは座席化も利用者が自ら行っていたはずです。

ブルートレインの個室寝台といえば、この当時でも 「あさかぜ (下り1号、上り2号) 」 でナロネ22が辛うじて連結されていて、孤高の存在感を発揮していましたが、オロネ25の登場によって、しかも同時に3列車に連結されたことから、孤高どころか、20系の旧さが一層強調されてしまい、 「あさかぜ」 の24系化が叫ばれるようになります。そして 「はやぶさ」 「富士」 「出雲」 に遅れること1年4ヶ月後の昭和53年2月1日東京駅発車の 「あさかぜ1号」 から24系25形が使用されるようになり、20年弱、東海道の夜を彩った20系は東京駅発着の特急から撤退しました。

昭和50年代、青い客車は紛れもなく鉄路のスーパースターでした。その中心にいたのが東京駅発着の列車でした。機関車のヘッドマーク、個室A寝台、そして食堂車など、関西や東北の列車にはないホスピタリティとアイテムを盛り込んでいたというのもあったでしょうけど、小学生だった私の目にも青い客車は羨望中の羨望だったのです。その風格は後々の 「北斗星」 や 「カシオペア」 、さらには今の 「四季島」 や 「瑞風」 にも引けを取らない列車だったと信じて疑っていません。

※・・ 「JNR EXPREE (ネコ・パブリッシング社刊) 」 151ページ

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.791、792 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.402 (交友社 刊)





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