上野駅で発車を待つ189系 「あさま」 と183系 「新雪」 です。
183系がこの世を去り、残る189系も風前の灯火と化している昨今、このツーショットは最近のお子ちゃま鉄道ファンにしてみれば、 “羨望” になるんじゃないでしょうか。でも、昭和50年代の上野駅はこんなんは至極普通の光景でした。
掲出された 「新雪」 のマークが “幕回し” でない限り、季節は冬ということになりますが、やはり 「新雪」 が運転されるとなれば、本格的にスキーシーズンが到来したんだなという実感が湧いたものです。上野発着の “臨時特急三羽ガラス” である 「そよかぜ」 「白根」 は春~秋でも見られますけど、 「新雪」 は前述のように、文字通り、冬しか見られないこともあって、この画像は比較的コアなものになろうかと思われます。
「新雪」 は 「はつかり」 の青森運転所とか、 「とき」 の新潟運転所といった、定期的な担当所轄が無く、使用される車両は定期特急の間合いで運転されたり、あるいは、各区所の予備車を充当することで使用車両を捻出していました。昭和44年のデビュー当初は181系電車を充当していましたが、それが新潟運転所 (新ニイ~現在のJR東日本新潟車両センター) なのか、田町電車区 (南チタ~後のJR東日本田町車両センター) なのかがハッキリとしません。上野-石打間の運転ながら、食堂車も連結・営業していました。
一番ピークだったのが昭和47年から48年にかけてのシーズンで、特に昭和47年シーズンは、エル特急並みに7往復 (実際は下りのみの列車もあり、6.5往復が正解かも) もの 「新雪」 が運転されました。181系だけでは足りず、青森 (仙台?) の485系や金沢の489系なども駆り出されましたが、さすがに583系は充当記録がありません。翌48年も6往復が設定されて、同様の車両陣容で乗り切りましたが、以降は本数が激減します。
その頃になると181系は撤退し、新たに幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) の183系がメインで充当されることが多くなりました。幕張の183系は房総特急と 「あずさ」 の運用がメインでしたが、夏季シーズンはフル動員になるものの、それ以外のシーズンは些かヒマになるので、各臨時列車への充当も柔軟に行えました。 「新雪」 への充当はその一環と思われます。画像の183系1000番代はおそらく田町電車区所属の車両ではないかと思われます。私はずっと、新潟の車両が担当していたものと思っていたのですが、どうも、田町らしいです。
「新雪」 の隣にいる 「あさま」 は当然、189系になります。
クハ183 1000とクハ189は一見、同一の車両のように見えますが、実は似て非なるもので、細かな部分にクハ183との差異があります。具体的には、電動発電機 (MH129-DM88) を床下前位側に装架し、電動空気圧縮機 (HM113B-C2000MA) を前頭部助士側に床置しました。これはクハ183 1000の奇数車に準じているのですが、車体側面、乗務員扉の脇にある空気取り入れルーバーの形状がクハ183とクハ189とでは些かの差異があります。これで見分ける人もいますけど、なかなかそこまでは見ないですよね。
「新雪」 は、昭和58年のシーズンから185系200番代も戦列に加わったりしましたが、 「シュプール号」 に発展する形で、昭和62年3月の運転を最後に設定されなくなりました。
上野発着の特急というと、どうしても 「はつかり」 「ひばり」 「とき」 「ひたち」 といったスター列車ばかりが注目されがちですが、地味な脇役の特急もまた、華を咲かせていた時代があったのです。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.832 (電気車研究会社 刊)
季刊 j train Vol.21 (イカロス出版社 刊)
日本鉄道旅行歴史地図帳 第6号 「北信越」 (新潮社 刊)