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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (425)

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今年は、 “世界初の寝台・座席兼用電車” が登場して50周年という節目の年。だからといって、特別何するというわけでもなさそうだし、JR東日本に残されている最後の6両を使って 「思い出の月光号」 なんてやられても全然有り難みが湧かないし、可能性があるとすれば、京都鉄道博物館で展示保存されているクハネ581-35のヘッドマークを 「月光」 とか 「みどり」 とかにする程度なのかなと。もっとも、 「月光」 だったら、門司港駅に隣接している九州鉄道記念館で展示保存されているクハネ581-8 (クハ715-1) が有名なので、それでお茶を濁してみては如何でしょうか。

当時の鉄道輸送事情から考えれば、581/583系の必要性はあったのだと思いますけど、まだ新幹線も新大阪までしか開通していなかったし、東北方面は完璧に在来線に依存してる状況ですので、押し寄せる利用客をどうにかして捌きたいと考えた国鉄の “苦肉の策的” な発想で、581/583系は登場しました。かなり酷使はされましたが、581/583系はそれに応え得る活躍を見せたのは、皆さんもご存じのことかと思います。

数ある581/583系使用列車の中でも、私が些かお気に入りだったのが 「彗星」 でした。
「はくつる」 「ゆうづる」 「明星」 とともに、客車と電車を使い分けていた夜行列車で、アラフォー、アラフィフの世代は特急列車のイメージが強いのですが、それよりも前の、 “団塊の世代” と呼ばれるおぢさん達の世代ではやはり、東京-大阪間の夜行急行の方が印象が深いのではないかと思います。
運転開始当初は20系で、後に24系24形、24系25形と使用車両を事ある度に変えたり増やしたりしていました。581/583系が加わったのは昭和50年3月の改正からです。

長年、 「富士」 とともに日豊本線の看板列車として君臨した 「彗星」 ですが、利用客の低下とともに、平成17年に廃止されます。新幹線に接続して九州方面に向かう “関西ブルトレ” の中では、あまり目立たない脇役的な立ち位置でしたが、 「彗星」 は、東海道ブルトレでも為し得なかった偉業があります。それは、20系、14系14形、14系15形、24系24形、24系25形、581系、583系と、国鉄時代に登場した全ての特急寝台車両を使用したこと。勿論、長い歴史の中でのことになりますが、 「あかつき」 は581/583系の使用歴がなく、 「明星」 は20系の使用歴がありません。 「さくら」 などの東京駅発着の東海道ブルトレは581/583系とは無縁でした。確か、 「明星」 は臨時列車で20系が使われたと記憶していますが、ここではあくまでも定期列車に限らせていただきます。

先程、 「あかつき」 「明星」 に比べて、目立たないとお伝えしましたが、それでも最盛期には5往復が運行されていたので、目立たないということはないんですが、どうしても 「あかつき」 と 「明星」 は定期・季節臨含めてそれぞれ7往復という大所帯でしたし、関西-九州の利用割合は博多中心になってしまいます。そうなると、 「彗星」 はこの2列車に比べると、1ランクダウンするのかなって感じになります。それに日豊本線には 「富士」 というスター列車がいたので、さらに立ち位置は微妙なものになります。でも、新婚旅行ブームに沸いた昭和40年代後半の宮崎では 「彗星」 は欠かせない存在でもあり、ブームを輸送面から支えた名列車であることに異論を挟む者はいないでしょう。

【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
伝説のブルートレイン全列車 (交通新聞社 刊)




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