長閑な山間に開けた街並みをキハ82系の特急列車が駆け抜けています。
如何にも日本のローカル線だなという感じがしますが、今はここは架線が張られて電車が行き交っています。何処だか判りますか? 「嗚呼・・国鉄時代」 のNo.78でも同じ俯瞰からDD51牽引の客レを撮っているシーンを取り上げましたので、覚えていらっしゃる方も居られるかと思いますが、ここは山陰本線です。そして背後に見えるのは園部駅。今から35年前の園部の風景です。ということは、画像の列車は 「あさしお」 ということになりますね。
「あさしお」 は昭和47年10月に運転を開始した特急列車で、急行 「丹後」 の下り1本、上り2本が特急に格上げされて 「あさしお」 となりました。列車名の由来は決して、力士の 「朝潮」 からではなく、あくまでも 「朝に満ちる潮」 が列車名の由来です。丹後路を走る列車に相応しいですね。
京都を発着する気動車特急には古くは 「かもめ」 「まつかぜ」 がありましたが、 「あさしお」 は京都を発車すると、そのまま山陰本線に入りました。というわけで、意外にも、 「あさしお」 は山陰本線京都口としては初めての昼行特急となります (夜行ではこの半年前に 「出雲」 が運転を開始した) 。
充当されたのは羽越本線の電化で電車化された 「白鳥」 や 「いなほ」 で使われていたキハ80系で、当初は食堂車も連結されていました (50.3改正で食堂車の連結が廃止) 。
「あさしお」 といって真っ先に思いつくのは、途中、進行方向が3度変わる特異な運転経路を持つ列車。4往復のうち、1往復だけだったと記憶していますが、ここでは昭和53年8月現在のダイヤでご案内します。該当列車は下り 「あさしお1号」 、上り 「あさしお4号」 です。
京都を出発して山陰本線を北上した下り 「あさしお1号」 は、綾部で舞鶴線に入るため1回目の進行方向変更。次いで西舞鶴で宮津線 (現、北近畿タンゴ鉄道→平成27年4月1日から京都丹後鉄道となる) に入るため2回目の進行方向変更。そのまま天橋立や峰山などを走り抜け、豊岡で山陰本線と合流し、3度目の方向転換。そして目指すは豊岡から2つ先の城崎 (現、城崎温泉駅) です。他の 「あさしお」 は綾部からそのまま山陰本線を北上して倉吉や米子へと足を運びます。
長らくキハ82系を使っていましたが、昭和57年7月から電車化された 「やくも」 用のキハ181系を転用させ、昭和61年には6往復が運転されるようになりましたが、確か 「あさしお」 としてはL特急の “昇格” は無かったと記憶しています。
民営化後もしばらくは気動車特急として運転が続けられましたが、平成8年に園部-福知山間の電化と北近畿タンゴ鉄道宮津線の電化によって電車化され、これを機に 「きのさき」 「たんば」 「はしだて」 となって、 「あさしお」 の列車名は消えました。
眼下に広がる園部は、当時は園部町でした。平成18年に園部町を始め、八木町、日吉町 (以上、船井郡) 、美山町 (北桑田郡) が合併して南丹市となりました。今やJR西日本のアーバンネットワークの一翼担う園部駅は、京都のベッドタウンとして急成長を遂げ、山陰本線京都口の別称 「嵯峨野線」 としての終着が園部になります。京都から園部までが複線で、ここで折り返す列車も数多くなっています。
機会があったら、ここから “定点撮影” をやってみたいですね・・・。
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
国鉄監修 交通公社の時刻表 昭和53年8月号 (日本交通公社 刊)
キャンブックス 「キハ82系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (きのさき、園部駅、南丹市)