この1枚もセピア色がかって、味が出てきていますね。
今月14日のダイヤ改正で、上野駅は一つの転機を迎えました。
北陸新幹線や上野東京ラインの開通に沸きに沸いている一方で、寝台特急 「北斗星」 の定期運行が終了しました。
上野駅は長らく 「北の玄関口」 として東北、上信越、北陸方面への列車が数多く発着し、加えて同地域だけでなく、北海道から来た人、北海道へ向かう人の喜びや悲しみを見つめてきた駅でもあります。それが今回のダイヤ改正によって上野発着の列車が激減し、事実上、 “終着駅” “発車駅” としての上野駅の役目は終わったことになります。画像のように、各方面に向かう列車が頻繁に到着して、そしてまた発車していくという光景はもう見ることはありません。
「北斗星」 や 「あけぼの」 、さらには 「北陸」 といった遠方への列車が少なからず残されていたことから、まだ 「北の玄関口」 としての機能は辛うじて残されていたように思いますが、広義で言えば、東北・上越新幹線が東京駅まで到達したその段階で、上野駅の 「北の玄関口」 の看板は下ろしたと位置付けています。
今となっては、もっと上野駅に足繁く通っていればな・・と悔やむことが多いほど、東京駅発着の東海道線列車とはまた違う列車の風情を感じることが出来た上野駅。ただ、あの頃は子供心に 「東京駅は陽、上野駅は陰」 「東京駅は華やか、上野駅は臭い」 というイメージを勝手に植え付けていて、上野駅に対する暗いイメージを最後まで払拭することはしませんでした。だからって、東京駅にもあまり出向くことはしなかったですけどね。東京駅にもいたにはいましたが、上野駅には夢が砕け散って、生きる目標を見失って、その日その日を生き抜くことで精一杯の人達がそこらじゅうに鎮座していて、何となく近寄りがたく怖い雰囲気を持っていました。子供1人では絶対に行かせてくれませんでしたね。
話が暗くなりつつあるので、明るい話題に持って行きましょう。
遡ること40年前、昭和50年3月のダイヤ改正で、山陽新幹線が博多まで開通し、東京から博多まで新幹線1本で乗り換えなしで行けるようになりました。その一方で、山陽本線の優等列車は夜行の一部を除いてほぼ全廃、山陽路に代わる新たな “特急銀座” として東北本線や北陸本線が名乗りを上げるようになりました。特に東北本線の上野-日暮里間は、東北本線の列車だけでなく、上信越方面、北陸方面の列車、そして常磐線なども加わりますので、百花繚乱の列車パレードが連日連夜繰り広げられていました。
上野駅の高架ホームからは上信越方面の列車が、地平ホームからは東北方面への列車が主に発着をしており、1日いても飽きなかったと聞いていますが、あの時、私も上野駅に行っていたら、行き交う列車に目移りして、彼方此方彷徨った挙げ句に迷子になっていたかもしれませんね。
画像は 「そよかぜ」 が189系になっていますので、昭和50年以降の撮影になると思われます。
「そよかぜ」 は昭和43年に登場した不定期列車で、東京-中軽井沢間の運転でしたが、運転開始当初は157系が使用されていました。しかし、わずか1年で181系に置き変わり、昭和50年に 「あさま」 が189系化されると、 「そよかぜ」 も一緒に189系に置き変わりました。老朽化も手伝って、181系は151系から改造された初期車を中心に廃車され、新製の100番代を始めとして比較的程度の良い車両が長野から新潟へと移って、 「とき」 として最後の活躍をすることになります。一方、 「とき」 用の181系にも初期車が使われており、長野からの転属車と交代する形で新潟の初期車も廃車されて、この段階で旧151系からの改造車は全て姿を消したことになりましょうか。この中にはモハ180とモハ181、そしてクハ181の1番も含まれていました。クハ181-1は今も廃車時のまま、生まれ故郷である神戸市の川崎重工兵庫工場に保存展示してあります。
「とき」 用の181系は、度重なる雪害と老朽化によってかなり疲弊しきっており、新鋭の183系1000番代が続々と増備されている時代です。数年後の上越新幹線開業も視野に入れて、残す車両は新製車の100番代が殆どとなって、前述の151系からの改造車は勿論のこと、161系からの改造車も淘汰していきました。
「そよかぜ」 は運転開始当初は夏のシーズンのみの運転でしたが、後にゴールデン・ウィークにも運転されるようになり、昭和50年代になると、冬季以外の多客時に運転されるケースが多くなりました。 「そよかぜ」 の運転は、長野新幹線が開業する平成9年まで行われて、一時期ではありますが、上田まで延長運転されていました。しかし、私の記憶が確かならば、 「そよかぜ」 の上田行きは国鉄時代にも実施されており、ある媒体では 「上野-中軽井沢・上田」 と運転区間を記載しているものもありました。
「そよかぜ」 「白根」 「新雪」 は 「上野駅発着イレギュラー特急三羽烏」 と呼ばれているかどうかは定かではありませんが、この3列車が動くよと 「みどりの窓口 (テレビ番組) 」 で告知されると (季節柄、 「そよかぜ」 と 「新雪」 が同時に運転されることはありませんでしたが) 、何気に興奮したのを覚えています。これに 「つばさ51号」 が加われば、意味不明に小躍りしていました。前述のイメージとは裏腹に、上野発着の列車にはそういう “鉄” を興奮させる何かが潜んでいたようです・・・。
それにしても、今回のダイヤ改正で名実共に東京駅が 「日本の鉄道の玄関口」となった感が強いですが、東北や北海道の人達には、例え東京駅が “玄関口” になったとしても、 「上野はおいらの心の駅だ」と感じ続けて欲しいですね。
【画像提供】
タ様
【参考文献】
鉄道ピクトリアル
No.752 (2004年10月号) 、No.766 (2005年10月号)
(いずれも電気車研究会社 刊)
ウィキペディア (あさま (列車) )