昨年3月の大阪旅行の際に、私は西宮市内にある “伝説の遺構” を見に行きました。西宮北口駅から探し求めること30分少々、ようやく見つけた “遺構” だったわけですが、画像はその “遺構” が現役で使われていた時代のものになります。
阪急神戸線を語る際に必ずと言って良いほど話題に上がるのが、今津線との平面交差、いわゆる 「ダイヤモンドクロッシング」 。常にこのダイヤモンドクロッシングが神戸線や今津線の運転上、輸送上のボトルネックとなっていたことから1984年、神戸線列車の10両化を機に、今津線を分断することによって廃止になりましたが、よくぞ廃止まで大きな事故が起きなかったなというのがただただ感心するばかりであります。西宮北口駅は車庫もある関係で、神戸線や今津線の運転上の中枢になることから、特急を始めとして全列車が停車するというのも要因の一つだったと考えられますが、やはり神戸線の列車と今津線の列車をバッティングさせないような緻密なダイヤを作成した現場のきめ細やかな努力の賜物と言えるでしょうね。
私は2年前に今津線に乗って、今津から宝塚まで乗りましたが、西宮北口での乗り換えがものすごく不便だったのを思い出します。それは平面交差だった時代も変わらなかったようで、駅構内に跨線橋とかが見当たらず、神戸線⇔今津線の乗り換えに際しては、一旦、駅の外に出て、踏切とかを渡ってそれぞれのホームに向かわなければならなかったようなんですね。今は駅舎が橋上駅舎になっていて、乗り換えの不便さは解消されていますけど、今津線を乗り継ぐ際は、どうしても乗り換えが必要になりますので、このような不便さは残ったままになっています。我らが石野真子さんも学生時代にこんな不便を経験したんでしょうね・・・。
それにしても、何故、立体交差にしなかったのだろうと素人的にはそう感じます。
言われるまでもなく、平面交差を解消するにあたってまず最初に頭に浮かんだのが立体交差化でした。しかし、今津線沿線には新幹線などの高架橋があり、それを跨いだり潜ったりすることは構造上、無理があることと、高架線に必要な用地が確保出来なかったことが挙げられます。それなら、西宮北口駅の今津線ホームだけ地下にするという方法もあったのでしょう。地盤の問題や工期の問題、用地の問題などの諸問題でそれも得策じゃなかったから、地下化にしなかったのでしょうけど、今津線の不便さを解消するには、再度、地下化も検討した方が良いかもしれませんね。
今、年に一回は大阪を中心とした関西地方に遊びに出掛けていますが、昭和50年代の関西にも行ってみたかったですね。国鉄もそうですが、阪急や京阪、阪神などの私鉄も魅力的な車両や鉄道施設が数多く点在していたことから、目移りしたことでしょう・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献】
ウィキペディア (阪急今津線、西宮北口駅、ダイヤモンドクロッシング)