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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (228)

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個人的に特急 「やくも」 といえば、キハ181系を使用した気動車特急をイメージするのですが、381系電車に置き変わって33年、さすがに気動車特急のイメージは薄らいでいる方の方が多いのではないかと思います。
 
今でこそ伯備線の列車として確固たる地位を得ている 「やくも」 ですが、元々、 「やくも」 の愛称は、昭和40年11月に新幹線に接続する新大阪-浜田間 (福知山線経由) の列車に使われ、さらに遡れば、昭和34年9月に運行を開始した米子-博多間の準急列車に採用されたのが始まりです。
新大阪-浜田間ということは、 「まつかぜ」 を補完する列車としての使命が高かったのかなと思えるのですが、新大阪発着にしたということは、やはり新幹線接続が第一にあったんだろうなというのが窺い知ることが出来ます。
 
現在の 「やくも」 に通じる列車は、昭和47年3月の山陽新幹線岡山開業に伴って登場した気動車特急が嚆矢ですが、それ以前から伯備線には 「おき」 という特急が走っていました。元々、 「おき」 は、昭和43年10月のダイヤ改正で登場した急行で、 「だいせん」 から改称されたものでした。
「おき」 は伯備線初の特急として、 「やくも」 が登場するまでの1年間、陰陽連絡特急として活躍しました。
 
キハ181系を使用した 「やくも」 はいくつかのエポックメイキングな出来事があります。
一つは 「気動車特急として初めてのL特急に指定された」 こと。
このブログ上でも幾度かお伝えしていますが、 「L特急」 とは、本数が多くて、自由席が設定されていて、毎時カッキリ発車の大衆特急を指して呼称してる特急列車のカテゴリーでありますが、それまではL特急といえば、 「ひばり」 「雷鳥」 「とき」 「つばめ」 「しおじ」 といった電車特急ばかりが設定されていました。しかし、 「やくも」 がL特急に指定されたことで、必ずしも電車特急だけに与えられた資格ということは無くなりました。
気動車特急のL特急といえば、九州の 「にちりん」 がありますが、 「にちりん」 の大半は485系電車を使用しており、キハ82系を使用した列車は1往復しかなかったので、印象が薄いかと思います。
 
もう一つは、 「キハ181系最後の食堂車連結車」であること。つまり、キサシ180を最後に使ったのが 「やくも」 であるということです。
昭和50年代後半、合理化の一環で、食堂車が編成から外されることが多くなりつつありましたが、とりわけキハ181系使用の列車は短編成が多く、食堂車連結列車は 「やくも」 のみとなっていました。それも昭和57年に381系に置き変わって、食堂車の連結は中止され、キサシ180はそのまま廃車・解体の憂き目に遭います。
 
画像は381系化されて間もない頃の撮影かと思われますが、そろそろ新車を投入されてはいかがでしょうね・・・。
 
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
ウィキペディア (やくも)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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