保土ヶ谷-戸塚間、早川-根府川間、真鶴-根府川間、真鶴-湯河原間、三島-函南間など、
東海道本線には様々な名撮影地が古くからありますが、ここもまた、著名な撮影地 (私は決して撮影地を “お立ち台” とは言わない) として数多くの作品が雑誌や本などの誌面を飾りました。菊川-金谷間、いわゆる “菊川の大カーブ” です。昭和50年代後半、こういった東海道本線の撮影地を飾ったのがブルートレインだったわけですが、茶畑とブルートレインとの組み合わせは、富士山同様、絵になるシーンだなと思いますし、静岡県の鉄道を象徴するシーンと考えています。
「さくら」 「はやぶさ」 「みずほ」 「富士」 「あさかぜ」 「瀬戸」 「出雲」 「いなば」 「紀伊」 と、東京駅発着のブルートレインはヘッドマーク ( 「いなば・紀伊」 はヘッドマーク無し) も誇らしげに、現在のAKB48をも凌ぐ人気を誇っていたわけですが、やっぱりセンターは 「さくら」 なのかなと思います。個人的には 「富士」 が好きだったのですが、当時、唯一の列車番号1 (※) だったことと、常にブルートレインを特集した雑誌や書籍の表紙を飾っていたのが 「さくら」 だったことを考えると、 「さくら」 はまさに 「ブルートレイン界の大島優子やぁ」ということになりますかね。当時、日本最長距離を誇っていた 「富士」 や、ブルートレインの元祖である 「あさかぜ」 も人気の列車ではありましたが、 「さくら」 のセンターは揺るがなかったように思います。
「さくら」 は、昭和32年に 「あさかぜ」 を補完する夜行特急としてデビューし、当時は 「さちかぜ」 という列車名でした。翌33年に 「平和」 と改称して、さらにその翌年、20系客車に置き変わって、この時初めて 「さくら」 を名乗りました。
列車設定当初は長崎行きのみでしたが、昭和40年からは佐世保行きも加わり、昭和47年に次世代寝台客車14系に置き換えられまして、平成17年まで運行されましたが、平成23年には 「みずほ」 とともに九州新幹線の列車名として復活します。ブルートレインの時代は 「さくら」 や 「はやぶさ」 の補完する役割に徹し、目立たない存在だった 「みずほ」 が、新幹線の列車名として返り咲いた時には立場が逆転し、九州新幹線のフラッグシップとなっています。
今は新大阪-鹿児島中央間を結ぶ 「さくら」 ですが、近い将来開業が予定されている長崎ルートの愛称に抜擢されるのではないかと予想しています。やはり長崎と 「さくら」 の縁は深いものがあるし、これ以上ピタリと来る愛称はそうは無いと思いますね。 あとは 「かもめ」 かな・・?
【画像提供】
岩堀春夫先生