事業者名:日ノ丸自動車(鳥取)
仕様・用途:都市間長距離夜行高速路線仕様(高速「キャメル」号仕様)
登録番号:鳥取22 か 1126
初年度登録:1988年式
シャシーメーカー:日野自動車
エンジン型式:日野EF750型
ボディ架装:日野車体工業
車両型式:P-RU638BB
車名:日野ブルーリボン・グランデッカ
撮影日:1988年5月29日(日曜日)
撮影場所・浜松町バスターミナル
運行開始から27年、今もなお、 「キャメル」 号は根強い人気を保っております。夜行高速路線バスの “三大レジェンド” と言われる 「ドリーム」 「ムーンライト」 「ノクターン」 もかなりの歴史を誇りますが、俗に言う 「第一次高速バスブーム」 前から走っている数少ない生き証人となっています。JRの寝台特急 「出雲」 や 「サンライズ出雲」 もそうですが、 「キャメル」 を始めとする山陰方面への夜行高速路線バスの需要は想像以上に高く、開業前の 「何で鳥取なの?」 という不安を見事に一掃してくれました。「今日の1枚」 のNo.275では京浜急行電鉄 (→京浜急行バス) の 「キャメル」 仕様をお届けしましたが、今回は同じカラーデザインでも日ノ丸自動車の 「キャメル」 仕様を取り上げます。運行開始が1988年5月17日で、撮影日が同年5月29日ということで、まさに運行開始から日が浅い、初々しい 「キャメル」 の姿と言えるでしょう。初代専用車のグランデッカもピカピカだしね。
「キャメル」 の雑駁な歴史については、「今日の1枚」 のNo.275でそれなりにお伝えしているので、ここでは割愛しますが、当時は陰陽連絡の高速道路が通っていなかったため、中国自動車道のどっかで高速道路を下りて、そこから延々、一般道を通って鳥取や倉吉へ向かっていました。今は鳥取自動車道や米子自動車道が開通し、陰陽連絡もかなり楽になりましたが、高速路線バスにとって 「高速道路を通らない」 というのはかなり試練なのかもしれませんね。
弊愚ブログでも諄いほど申し上げていますが、1988年5月29日は私にとってバス撮りデビューの日になります。その時の目的は
まで、概ねの目標は達成して、いよいよ 「ノクターン」 の撮影となるのですが、当時の 「ノクターン」 は今の品川バスターミナルではなく、品川駅前にあるホテル・パシフィックから出発していました。だから、浜松町バスターミナルで撮ろうと同行していたしのこお氏と話していましたが、撮影1~2日前 (当日だったかな) にしのこお氏から 「鳥取に向かう 「キャメル」 っている高速バスが開業したんだってさ」 という情報を得ました。私はそこで 「キャメル」 の存在を知るのですが、この日は東京側の京浜急行ではなくて、山陰側の日交と日ノ丸が担当でした。かなり記憶が薄れているのですが、米子便は画像の日ノ丸車で、倉吉便は日交のスーパーエアロ、それぞれ1台ずつの配車だったような記憶があります (実際には米子便も倉吉便も2台体制で、1台は撮っていなかったのかもしれませんが) 。黒いバンパーが基本のMS7エアロバスにあって、日交の 「キャメル」 用スーパーエアロは、バンパーを白く塗っており、私は 「白エアロ」 と呼んでいました。
エアロバスやエアロスターの撮影 京浜急行のノンステップバスの撮影 JRバスのエアロクィーン (エアロクィーン・W) の撮影 「ノクターン」 の撮影でした。
まで、概ねの目標は達成して、いよいよ 「ノクターン」 の撮影となるのですが、当時の 「ノクターン」 は今の品川バスターミナルではなく、品川駅前にあるホテル・パシフィックから出発していました。だから、浜松町バスターミナルで撮ろうと同行していたしのこお氏と話していましたが、撮影1~2日前 (当日だったかな) にしのこお氏から 「鳥取に向かう 「キャメル」 っている高速バスが開業したんだってさ」 という情報を得ました。私はそこで 「キャメル」 の存在を知るのですが、この日は東京側の京浜急行ではなくて、山陰側の日交と日ノ丸が担当でした。かなり記憶が薄れているのですが、米子便は画像の日ノ丸車で、倉吉便は日交のスーパーエアロ、それぞれ1台ずつの配車だったような記憶があります (実際には米子便も倉吉便も2台体制で、1台は撮っていなかったのかもしれませんが) 。黒いバンパーが基本のMS7エアロバスにあって、日交の 「キャメル」 用スーパーエアロは、バンパーを白く塗っており、私は 「白エアロ」 と呼んでいました。
京急は何故か日ノ丸に合わせて日野を導入しましたが、 「キャメル」 用の車ってあの2台だけだったんだろうか・・・?
【参考文献】
ウィキペディア (キャメル号、日ノ丸自動車、日本交通、ノクターン号)
ウィキペディア (キャメル号、日ノ丸自動車、日本交通、ノクターン号)