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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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事業者名:昭和観光バス(福島)

使用・用途:観光貸切仕様

登録番号:福島22 か 2576

シャシーメーカー:日産ディーゼル工業

エンジン型式:日産ディーゼルRF10型

ボディ架装:富士重工伊勢崎

ボディ型式:富士重15型HD-

車両型式:U-RD620UBN

車名:日産ディーゼルスペースウィング SW-

撮影日:2009年11月7日(土曜日)

撮影場所:晴海埠頭

私が撮影した数少ないU代の3軸スペースウィングです。
国産の3軸観光バスは、1982年に登場したDA50がその嚆矢になりますが、1984年にDA50の後継車として車高をさらに引き上げた国産初の3軸スーパーハイデッカー、DA66が登場します。そして1985年、このDA66がモデルチェンジする形で登場したのがDA67で、この時初めて 「スペースウィング」 という車名が与えられました。
このDA67、車高こそDA66と変わりありませんが、架装ボディを新型のHD-兇肪屬換えたため、DA66よりも高く見えます。貸切仕様車の他、都市間高速路線バスにも投積極的に投入され、同時期に登場した三菱エアロクィーン (→エアロクィーン・W) と3軸スーパーハイデッカーの覇権を争いました。個人的にはスペースウィングが “剛” で、エアロクィーンが “柔” というイメージを持っているのですが、見た目でもスペースウィングの方がゴツい感じがしますよね。対するエアロクィーンは、その名が示すように、女性的な曲線美を描いています。だから、バス事業者はその好みによって購入する車を選べた、そんな時代でした。

1990年、平成元年排ガス規制適合に合わせて、各社ともモデルチェンジ車を送り込みますが、ボディを含めた大きなモデルチェンジを実施したのは日野のみで (この時初めて 「セレガ」 が登場した) 、残りの3社は規制に対応したエンジンを載せ替えただけの小規模なモデルチェンジに留まりました。日産ディーゼルは、このマイナーチェンジを機に、車両型式のルールを変更しました。スペースウィングは、車両型式記号をDAから 「リヤエンジン・ダブル後輪」 を意味するRDに変更しますが、スーパーハイデッカーは次第に2軸車が主流になりつつありました。日野といすゞは最初から2軸車で攻勢を掛け、いすゞに至っては、3軸車すら開発しませんでした。三菱はスーパーエアロの後継車として、後に大ヒットモデルとなるエアロクィーン・Mを発表することになります。この段階で2軸のスーパーハイデッカーをラインナップに加えていないのは日産ディーゼルだけでしたが、日産ディーゼルを好むユーザー (つまり、事業者) からは2軸のスーパーハイデッカーをラインナップするようにという要望が引きも切らなかったんでしょうね。1990年のマイナーチェンジを機に、日産ディーゼルもついに2軸のスーパーハイデッカーを発表します。車名こそ 「スペースウィング」 ですが、シャシーはハイデッカーのスペースアローをベースにしているため、型番もRAとなっています。

長いこと、富士重工の主力ボディであった15型は、その洗練されたスタイルから、多くのユーザーに好まれました。路線、観光問わずどのシャシーでも対応出来たその汎用性がヒットした要因と言えますが、1990年代に入って、日野が 「セレガ」 を発売し、1992年には三菱のエアロバスシリーズがフルモデルチェンジするなど、観光バス業界は大きな転換期を迎える中で、富士重工が新型ボディを発表します。15型の後継である17型が登場したのは1988年、先陣を切って路線仕様に架装されました (いわゆる7E) 。次いで1990年に観光バス用ボディの17型M (7M) が登場し、新たに 「マキシオン」 という名が与えられます。こうした中でもスペースウィングはしばらくの間、旧来の15型を架装していましたが、1992年に17型S (7S) ボディを架装したモデルチェンジ車が発売されます。これによって15型の歴史は幕を下ろす事になります。

DA66、DA67、RD620と受け継がれてきた日産ディーゼルの3軸スーパーハイデッカーですが、7Sボディの登場によってより洗練されたフォルムに変貌を遂げることになります。しかし、それとは裏腹に3軸車の需要は冷え切る一方で、西武系の高速路線バス運行事業者によってどうにか生産を継続しているにすぎなくなりました。1995年の平成6年排ガス規制に合わせてマイナーチェンジ車 (KC車) を送り込みますが、その時はもはや “風前の灯火” 状態で、1997年に至っては1台の販売実績も得られませんでした。こうしていつの間にかカタログモデルから外され、ひっそりと消えていきました。

このスペースウィング3軸車を所有する昭和観光バスは、福島県南相馬市に本社を構える貸切事業者で、所有車両を見る限りでは、導入する車種にはこだわっていないようですね。いすゞ、日野、三菱、ボルボとかなり多彩で、これらの車が今も残存しているとすれば、さながら “バブル期の動く観光バス博物館”的な様相を呈しています。

今でも東京の彼方此方で、新免に買い取られた古き良き時代の観光バスが老いる車体、老いる心臓 (エンジン) に鞭打ちながら走っている姿を見ますが、スペースウィング3軸車は殆ど見なくなりました。画像の車もU代で、P代 (P-DA67UE) は絶滅したのでしょうか? ボロくても良いから、またあの重厚感たっぷりの姿を拝みたいものです・・・。


【参考文献】
BUSRAMA SPECIAL No.11 「UDマークのバス達」 (ぽると出版社 刊)
バスマガジンスペシャル 「ユーザー系バスボディ完全ガイド」 (講談社 刊)
観光バスのページ

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