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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (146)

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まさに “485系全盛時代” の一コマですね。
詳しいことはよく判りませんが、 「有明」 と 「にちりん」 が離合するということは、鹿児島本線の小倉-博多間のどっかで撮られたものと思われます。また、583系で運行されていた 「有明」 に485系が加わったのが昭和50年3月のことなので ( 「にちりん」 は昭和47年に485系化) 、50.3以降の撮影と考えられます。
 
何時を “485系全盛時代” とするかは意見の分かれるところかと思いますが、個人的には山陽新幹線岡山開通の昭和47年3月から上越新幹線開通の昭和57年11月までの10年間かなと思っています。
いわゆる 「よん・さん・とう」 だと、まだ非電化区間が多く残り、電車化される前の特急が多く残っていたという点と、57.11以降ですとL特急の “東の横綱” 的存在の 「ひばり」 が全廃されたという点から、47.3から57.11までが485系にとって最も精力的に活躍した時期であると考えております。
 
昭和47年3月、 “ひかりは西へ” のキャッチフレーズのもと、山陽新幹線が岡山まで開通し、同時に新大阪発着であった山陽本線の昼行特急は基本的には岡山発着となりました。 「しおじ」 を始めとして、 「つばめ」 「はと」 「なは」 「みどり」 「日向」 が向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) 所属の485系で運行されていました。これに581・583系が 「つばめ」 「はと」 「しおじ」 に加わり、581・583系は “本業” でもある夜行特急 「明星」 「彗星」 「きりしま」 「月光」 「金星」 でも活躍、また 「かもめ」 は、電化区間の関係から、廃止までキハ82系を使って運行されるなど、山陽本線の岡山-下関間は “特急銀座” の名を欲しいままにしました。
 
昭和50年3月、山陽新幹線の岡山-博多間が開通し、ここに東海道・山陽新幹線が全通するわけですが、同時にそれは在来線昼行優等列車の全廃を意味することでもありました。向日町に所属していた485系は北陸特急用に一部が残った以外は全て転属、その大多数が南福岡電車区 (門ミフ~現在のJR九州南福岡車両区) や鹿児島運転所 (鹿カコ~現在のJR九州鹿児島車両センター) に移りました。鹿児島に転じた車両には481系も含まれており、交直両用特急車両の嚆矢でもある481系は鹿児島が終の棲家となります。
山陽特急の全廃によって、南福岡と鹿児島に転属された車両を使って九州島内の電車特急が大幅に増発されました。特に 「有明」 は3往復から一気に10往復に、 「にちりん」 は2往復から8往復にそれぞれ大増発されました。 「にちりん」 の8往復のうち、1往復は西鹿児島まで行く列車で、当時はまだ宮崎-鹿児島間が電化されていなかったことから、キハ82系が継続して使用されました。翌、昭和51年には長崎本線と佐世保線が電化完成し、長崎本線には気動車特急のイメージが強い 「かもめ」 が、さ佐世保線には大分特急のイメージが色濃く残る 「みどり」 が命名されてリスタートを図り、これにより、昭和における九州電車特急のスタイルが確立しました。 「かもめ」 「みどり」 については、 「嗚呼・・国鉄時代」 でも取り上げているので、ここでは割愛しますが、やっぱり 「有明」 と 「にちりん」 が九州の二大電車特急なんでしょうね。
 
ボンネットスタイルのクハ481は、登場当初、スカートが真っ赤に塗られていました。これは同じボンネット形の151系 (→181系) と識別するための措置で、昭和40年に登場した483系用の先頭車は、スカートがクリーム色に塗られた他、 「これは交直両用ですよ」 という意味合いで、前面に “ヒゲ” が足されて東日本地域の181系と区別しました。以前にもお伝えしたかと思いますが、あの “ヒゲ” は、私的にはどう見ても “マツゲ” にしか見えないんですよね。
赤1色だった西日本地域のクハ481はその後、スカート上部にクリーム色の線が1本足されることになりました。これはその頃、徐々に東日本へと活躍の場を移していき、481系との識別の必要がなくなった181系との識別というよりも、 「60Hz専用ですよ」 という意味らしく、後に向日町所属のクハ481は全車がこのクリーム線入りのスカートに変更されました。この赤スカートのクハ481は、基本的には西日本地域限定で見られた車両ですが、電車化された 「はくたか」 が向日町の管轄であったために、東日本でも見られました。また、481系も時折、編成の中に組み込まれていたため、481系と483系の顔合わせも実現していました。
 
昭和50年代以降、九州専用となったクハ481は、他地域に転属することが無い事を前提に、 「60Hz専用ですよ」 という意思表示も必要なくなったことから、徐々に赤スカートを止めて東日本地域車同様にクリームスカートに変更されますが、その際に、東日本のクハにある “ヒゲ” は付け加えられず、何となくマヌケ面なイメージが拭えませんでした。
 
“九州専用” であった筈の南福岡や鹿児島の485系に転機が訪れたのが昭和60年改正。 「ひたち」 の増発用に、一部が仙台運転所 (仙セン~現在のJR東日本仙台車両センター) や勝田電車区 (水カツ~現在のJR東日本勝田車両センター) に転属されました。この中には赤スカートのまま活躍していたクハ481や初期車も含まれており、クハ481-1や2も勝田転属組に入っていました。こうして、九州内のクハは非ボンネット形が多数派を占めるようになり、九州では初めてとなる “電気釜” こと非貫通の300番台も含まれていました。
 
個人的には貫通形の200番台が大のお気に入りで、ボンネットスタイルのクハ481はあまり興味がなかったのですが、クハ151からの伝統を受け継ぐ流麗なスタイルは、21世紀になった今も色褪せていません。
 
【参考文献】
ウィキペディア
よみがえる485系 (学研 刊)
 
 
 
 

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