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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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今日の1枚・710

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所有事業者:茨城交通 (茨城)

仕様・用途:高速路線仕様 (高速 「みと」 号に充当)

登録番号:水戸22 あ ・768

シャシーメーカー:日野自動車

搭載エンジン:日野EF750型

車体架装:富士重工業伊勢崎

車体型式:富士重15型R3

車両型式:P-RU637AA

撮影日:1990年4月7日 (土曜日)

撮影場所:東京駅八重洲口



黎明期の常磐高速バスに充当されている茨城交通の日野車です。
その昔は鉄道事業もやっていましたが、今はバス事業がメインになっているのは周知の事実かと思います。
常磐高速バスは、東名や中央、関越などで展開される高速路線バスとしては些か後発になります。それは国鉄常磐線が圧倒的優位に立っていたからで、特に昭和60年3月のダイヤ改正で同線の特急 「ひたち」 が1日23往復という驚異的な運転本数を設定したことから、並行して高速路線バスを走らせても採算が取れないだろうというのが茨城県内の各バス事業者の見解でした。

ただ、いわゆる 「筑波研究学園都市」 に関しては、常磐線の駅からかなり距離があり、まだつくばエクスプレスも開業していない頃ですので、 「この周辺ならバスを走らせても採算が取れるんじゃないか」 と運転を開始したのが最初です。時に1987年のこと。蓋を開けてみれば、大盛況で迎え入れられたのですが、首都高速6号線の大渋滞で遅延が慢性化して、東京行きの需要はさっぱりだったのも事実だったりします。
それでも、 「新たな需要を掘り起こした」 と、筑波方面だけでなく、本格的に水戸や日立など、茨城県内への各都市へ向かう高速路線バスが1980年代後半から相次いで開業することになりますが、茨城交通が最初に展開した高速路線バスがこの水戸行きになります。

運行開始当初は 「みと号」 という愛称は無く、単に 「常磐高速バス水戸線」 というような通称で呼ばれていたような記憶があります。また、充当車両もいわゆる 「高速路線仕様」 ではなくて、貸切車両を転用させたお粗末な車でした。
画像の車も登録番号から、おそらく1984年頃に貸切車として採用されたものと推察します。で、常磐高速バス開設にあたって、新車を導入するのかと思いきや、こういった貸切車を転用させたのではないかと思われます。普通だったら、当時最新鋭だったRU638BBを導入すると思うんですけどね。だから、最初は眼中に無くて、後年、ようやく何となしにカメラを向けたという感じで撮った記憶があります。最初からRU638BBだったら撮ってたかもしれませんね。

バスの型番ですが、 「P-RU637AA」 としています。1984年式で正しければ、昭和58年排ガス規制適合車 (P-) であるのは間違いないのですが、この角度からですと、11m車なのか12m車なのか、WB6.2mなのか6.6mなのかはっきりと判りません。ましてや純正車体ではなくて富士重ボディですから、もっと判別がムズくなります。
私は当時の 「バスジャパン」 誌に掲載されていたデータを基にしていましたので、それを信じて 「RU637AA」 としました。相違があれば、ご教示をお願いします。

この記事を書き込んでいる時に知ったんですが、茨城交通と日立電鉄のバス事業 (日立電鉄交通サービス) が合併するんですって? そりゃまた、大変だっぺ。


【参考文献・引用】
ウィキペディア (茨城交通、常磐高速バス、日野セレガ)

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