ここは品川駅。駅と日常に溶け込んでいるかの如く、京浜東北線がいます。でも、ちょっと様子がヘン。何処行きかを示しておらず、しかも運転台窓下に 「京浜東北線」 というステッカーを貼っています。 「わざわざ 「京浜東北線」 って示さなくても判るわいっ!」 と思うんですけど、実はこれ、京浜東北線のようでいて、京浜東北線ではないという複雑な内部事情を盛り込んだ車両であります。
提供していただいた写真の裏面に撮影データが記されていました。
によると・・・、
↑大宮
クモハ103-58モハ102-158クハ103-552クモハ103-82モハ102-197サハ103-174サハ103-173モハ103-123モハ102-220クハ103-591↓大船
だそうです。
このうち、クモハ103-82とモハ102-197だけ、新製配置が浦和電車区 (北ウラ~現在のJR東日本さいたま車両センター) で、残りの8両は全て下十条電車区 (北モセ~後のJR東日本下十条運転区) が新製配置でした。ただ、下十条が新製配置といっても、落成日が8両とも異なっているので、組み替えを重ねてこのような編成になったのだと思われます。そして、昭和48年4月にクモハ103-82とモハ102も下十条に転属になりまして、上記の編成が組まれたものと推察します。
画像の先頭車は、クハ103-591と思われますが、では何故、スカイブルーなのに 「京浜東北線」 のステッカーを貼っているのか? 何故、京浜東北線の車両なのに行き先を示していないのか? まどろっこしい言い方ですけど、前述のように、既にこの車両は京浜東北線の車両ではないのです。
この10両編成は、昭和51年に転機を迎えます。
10両のうち、3両 (クモハ103-58、モハ102-158、クハ103-552) の除く7両は、昭和51年8月に冷房改造を受けます。さらにサハを除く5両 (クモハ103-82、モハ102-197、モハ103-123、モハ102-220、クハ103-591) は、この3ヶ月後に鳳電車区 (天オト~現在のJR西日本吹田総合車両所日根野支所鳳派出所) に転属になります。つまり、このクハ103-591を始めとする5両は阪和線向けに仕様変更が整った状態で、転属の日まで京浜東北線で運用しているという絵面になります。方向幕が使用されないのは、既に幕そのものが阪和線仕様に差し替えられているためで、さすがに阪和線用の方向幕に 「大宮」 や 「大船」 などは収っていませんし、逆に京浜東北線内で 「天王寺」 や 「和歌山」 は出せませんからね。
なお、この5両は一斉に鳳に行ったのではなく、段階的に小出しに鳳へと旅立ちました (クモハ103-82とモハ102は昭和52年1月12日付け、モハ103-123とモハ102-220は昭和51年11月16日付け、クハ103-591は昭和52年1月24日付け) 。何だかムダな転配回送のようにも思えますが、この他にも京浜東北線から阪和線に向けて103系が大量に転配されていまして、阪和線の新性能化完了に一役買っています。
因みに、残った5両のうち、クモハ103-58とモハ102-158のユニットは、昭和52年8月2日付けで三鷹電車区 (西ミツ~現在のJR東日本三鷹車両センター) へ転属して中央線快速に働き場所を移します。その約3ヶ月後に冷房改造、クハ103-552とサハ103-173、174はそのまま京浜東北線に残りましたが、クハ103-552だけは非冷房のままで、民営化後の昭和63年3月にやっと冷房が取り付けられました。画像を見ると、全車冷房車のように見えますが、この段階で3両が未改造のままだったんですね。
まぁ、この頃の山手線や京浜東北線に関しては、このような 「転配前の最後のご奉公」 は特に珍しいことでも何でもないと思いますが、 「珍しいことではない」 と思うのはコアな103系フリークだけで、事情を知らない一般の乗客や普通の鉄道ファンはやっぱり「これ、何?」 と不思議に思うんでしょうね、きっと・・。
【画像提供】
撮影者:ウエ様
提供者:カ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.541 (交友社 刊)
キャンブックス 「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (下十条運転区、鳳電車区)