機番:26号機
新製:昭和23年7月30日製造:川崎車輌製造番号:No.140新製配置:沼津機関区最終配置:浜松機関区廃車:昭和55年5月9日 (工事71号通達による)【廃車時の形態】パンタグラフ:PS14前照灯:原型尾灯:原型内バメ式正面窓:小窓+HゴムHゴム色:黒正面ヒサシ:小型デフロスタ:なし正面手すり:あり正面飾り帯継ぎ目:タイプ |列車電話:あり電源車制御装置:なし元空気ダメ引き通し管:なしスノープラウ:なしスノープラウ取り付け台座:なしステップ:主台枠横梁取り付け汽笛カバー:なし常磐線用列車無線:なし乗務員ドア:原型側面ハシゴ:切り欠きタイプ側面エアフィルター:鎧戸タイプナンバープレート:板状タイプ暖房装置:SG【改造履歴 (一部) 】昭和25年 3月23日~:臨時修繕 (パンタグラフをPS14に取り替え)施工は大宮工場で3月29日に出場。昭和31年 8月14日~:新車体に載せ替え (施工は日立製作所で出場日は不詳)新車体時から小窓。旧車体はEF13 26号機に移植。昭和32年 1月21日~:丙修繕 (施工は浜松工場で同年1月26日に出場)ワイパーを電気式に取り替え (運転士側に2基) 。昭和33年 1月14日~:甲修繕 (施工は浜松工場で同年1月22日に出場) 。前照灯をLP402 (大型灯体) に取り替え。昭和34年10月 8日~:丙修繕 (施工は浜松工場で同年10月16日に出場) 。合図手用ステップと握り棒を取り付け。昭和38年10月15日~:甲修繕 (施工は浜松工場で同年10月23日に出場) 。前面手すりと足台、電気式速度計の取り付け。昭和43年 2月23日~:中検B (施工は浜松工場で同年2月29日に出場) 。側面エアフィルターを鎧戸式に改造。昭和46年 2月 6日~:要部検査 (施工は大宮工場で同年2月18日に出場) 。避雷器をLA15に換装。昭和51年11月18日~:要部検査 (施工は大宮工場で同年12月1日に出場) 。ワイパーをWP50 (助士席側はWP35) に取り替え。前面窓にHゴムを取り付け。【転配履歴 (赤字で書かれているのは貸し出し扱い) 】昭和24年 3月19日:東京機関区昭和24年 3月30日:沼津機関区に返還昭和25年 6月17日:東京機関区昭和25年 9月 1日:沼津機関区に返還昭和28年 6月30日:浜松機関区昭和31年11月11日:宮原機関区昭和32年 1月26日:浜松機関区昭和54年 9月26日:第一種休車に指定
25号機同様、川崎製の兄弟機です。
新車体載せ替え時、前照灯はLP400型を装備していましたが、将来的な見込として、既にLP402への換装を盛り込んだ改造となっていました。また、172両中、15両しか施工されていない大型のケースを取り付けたうちの1両になっています。
新製時は東京と沼津を行ったり来たりしており、一時期、宮原に転属になったものの、基本的には浜松機関区にいて、東海道本線と山陽本線で小荷物列車の牽引に従事していました。また、昭和50年以降はおそらく寝台特急 「いなば・紀伊」 の牽引にも充当されたことでしょう。
ぶどう色時代なので、昭和40年以前の撮影ではないかと。
豊橋駅付近での撮影とのこと。
(画像提供:う様)
撮影年、撮影場所ともに不詳だが、東海道本線 (もしくは山陽本線西明石以西) である可能性が高いです。撮影年もHゴムが取り付けられているので、昭和51年以降であることは確かです。
(画像提供:タ様)
こちらも昭和51年以降の撮影で、撮影場所は東海道本線の高槻付近ですかねぇ~?
(こちらもタ様提供)