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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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今日の1枚・623

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所有事業者:ジェイアールバス関東
仕様・用途:高速路線仕様 (東名ハイウェイバスに充当)
登録番号:足立22 か 2595

社番:744-4951号

配置:東京営業支店

初年度登録:1984年

シャシーメーカー:三菱自動車工業

搭載エンジン:三菱8DC9T5型

車体架装:富士重工伊勢崎

車体型式:富士重15型R3

車両型式:P-MS735SA

撮影日:1989年5月3日 (水曜日)

撮影場所:東京駅八重洲口


画像は再掲になります。
「今日の1枚」 で三菱MS735を取り上げるのは今回で2回目、約10年ぶりになりますが、その時は1986年式の後期型でした。前期型と後期型の差異は行く先表示器とJNRマークの位置で判別するのが一番判りやすいかなと思います。画像は前期型で、大きい表示器を前面窓とフロントグリルの間に設置し、赤いJNRマークがフロントグリルに取り付けられています。これに対して後期型は、その位置が逆で、表示器は少し小振りになってフロントグリルに設置され、JNRマークはメッキ仕様のものが窓とフロントグリルの間に取り付けられています。

MS735は1984年に登場した車ですが、まだエアロキングが登場する前ですので、おそらく最速のバスだったはずです。だから、高速道路では敵無し状態で、前方にバスがいようものなら、赤いJNRマークを振りかざして、 「どけよっ!」 と言わんばかりに、蹴散らす勢いで駆け抜けていたんでしょう。まるで 「レッド5」 ナイジェル・マンセルのようにね。以前にも赤いJNRマークが 「レッド5」 に見えるみたいなことはお伝えしたかと思いますが、もっとも、本当に煽り運転みたいなことはしなかっただろうけど、当時の国鉄バスならやりかねなかったかも。

国鉄は車両の新造に際して、例えばステンレスやアルミの車体、サイリスタ・チョッパ制御やVVVFインバータ制御など、私鉄では普通に使われていた新機軸については消極的だったのは有名な話ですけど、自動車局も同じで、特にバス用のエンジンも基本的には自然吸気 (NA) を標準としてきました。しかし、なかなか国鉄の要望に見合うエンジンが開発出来ず、各メーカーが 「これ以上、自然吸気で馬力を絞り出すのは困難だから、過給器 (ターボとかスーパーチャージャーとか) の採用を認めて欲しい」 と懇願しても、 「いや、自然吸気で」 と曲げなかったため、メーカーはお手上げ状態でした。おまけに、そんだけ法外な要求を突きつける割には、国鉄は開発費用の負担をしなかったというケチぶりで、そうなると、メーカーがその開発費用を絞り出さねばならず、且つ膨大な額になることから、いすゞと日野は白旗を上げて撤退し、三菱ふそうと日産ディーゼル (→UDトラックス) だけがどうにか生産していました。それも旧い車を細かな改良を重ねて納入していたもので、加えて東名ハイウェイバス開業時の車の老朽化も見え隠れしてきたこともあって、国鉄も 「そろそろ、時代に合った新しい車を・・」 と要求するようになります。ボディこそ、15型という洗練された新しい車体があったので、あとはシャシーとエンジンということになりますが、今度はメーカーが 「過給器の搭載を認めなければ、エンジンは開発しない」 みたいな逆要求を突きつけて、それに対して国鉄が折れたことから、初めて過給器付きのエンジンが開発されました。といっても、オールニューのエンジンでは無くて、エアロバスに搭載していた8DC9型エンジンにターボを取り付けたシロモノですが、最高出力が350PSに達しました。このエンジンが後のエアロキング (MU515) やエアロクィーン・W (MU525) に搭載された8DC9T6型登場の布石になるのですが、エアロキングは1983年の東京モーターショーでお目見えしたのが最初 (実際の販売開始は1985年1月) 。その時のエンジンはT6型じゃなかったのかな?

ともあれ、MS735は東名ハイウェイバスの新たなフラッグシップとして夜行高速路線バス 「ドリーム号」 を中心に運用されていくことになりますが、1980年代後半になると、国鉄の財政事情ももはや手の施しようが無いほどの状況に追い込まれ、専用車両の開発要求も出せなくなります。1986年以降の新車はメーカーの標準仕様車をそのまま納入せざるを得なくなり、 「ドリーム号」 用にエアロクィーン・W (当時はエアロクィーン) を、名神ハイウェイバス用に日産ディーゼル・スペースウィング (DA67) を投入します。これが国鉄バス初のスーパーハイデッカーとなります。そして1987年、民営化後初の新車も市販車導入となり、旧型車の置き換えで初めてエアロバス (MS725) が登場しますが、車体こそ三菱自工名古屋製の標準ボディでしたが、エンジンを含めた足回りはMS735そのものでした。ただ、サスペンションが車軸懸架から独立懸架に変更され、乗り心地はさらに改善されることになります。JR東海バスも1989年に導入した新車は、エアロバスの車体ながら、足回りはエアロクィーン・M (MS729) と同一のものとなり、エンジンも8DC11型を搭載しました。こういう部分で 「国鉄専用型式」 のDNAが息づいていました。

画像の744-4951号車は、引退後は日本バス友の会の派生団体である、NPOバス保存会が引き取って保存していますが、動態化はされず、静態保存の状態となっています。

【参考文献・引用】
BUSRAMA EXPRESS No.11 「The King -エアロキングの四半世紀-」 (ぽると出版社 刊)
ウィキペディア (三菱ふそうエアロエース、国鉄専用型式など)



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