1988年は、 「リゾート踊り子」 号が走り始めて30年という節目の年。甲種輸送を含めた回送列車やデータ取りの試験運転を除けば、天下の東海道本線に私鉄車両が走るなどということは、夢のまた夢物語であった時代に、伊豆急行の2100系 「リゾート21」 がそれをやってのけました。逆にJRも思い切ったことをしたなと、当時はその英断に拍手が送られましたけど、それはやはり、リゾート21の話題性と実力が東海道線乗り入れに繋がったものと思っています。
冒頭でもお伝えしたように、国鉄では小田急のロマンスカーをちょくちょく借りて東海道本線で試験運転を行っていました。国鉄が小田急から車両を借りたのか、小田急が国鉄の線路を借りたのかは定かではないのですが、最初の試験運転では、 「SE車」 3000形が145km/hを叩き出して、この試験結果が小田急のみならず、国鉄でも大きな収穫となり、新幹線構想実現の大きな足がかりとなったのは有名な話ですが、それから20数年経った1983年の試験運転では、単なる試験運転ではなくて、実際に小田急ロマンスカーが東海道本線に乗り入れる下地づくりではないかという噂も流れました。小田急側も新宿から乗り換え無しで伊豆方面への列車を設定したいという思惑はあったようですが、結果的に国鉄時代には実現せず、民営化後にJR東海エリアの御殿場線に乗り入れることで伊豆へのアクセスを切り開きました。
さて、伊豆急です。
開業当初から伊豆急は国鉄伊東線に乗り入れて、熱海までの直通列車を運転していましたし、国鉄もまた、東京から下田までの直通列車を設定していました。伊豆急側も専用の車両を用意すれば、東京への乗り入れも夢ではなかったんでしょうけど、それは国鉄側の遮断によって東京へは片乗り入れという状況がずっと続いていました。
このような状況の中、1985年に従来の概念を覆す斬新な車両が登場します。それが2100系です。
「リゾート21」 と命名された伊豆急の新形電車は、瞬く間に伊豆半島の、いや、鉄道界の話題を一気にさらい、斬新なデザインとホスピタリティが評価されて、翌年にブルーリボン賞を受賞します。
1987年に国鉄は分割民営化されて、JRとして再スタートを切るわけですが、折りしも稀代の好景気の真っ只中、伊豆半島にもバブルの波が押し寄せようとしていました。温泉と自然を融合させた短期間観光旅行にはうってつけの伊豆、夏には海水浴で賑わい、国鉄時代に定期・臨時問わず、も様々な伊豆行き列車が設定されていましたが、高速道路網の発達とともに、観光バスのデラックス化が進み、鉄道にとっては驚異的なライバルになっていました。どうにか鉄道を利用して伊豆に来てもらいたいと考えていたJR東日本と伊豆急行は、ある秘策に打って出ます。それが 「リゾート21」 を使った直通列車の設定です。
国鉄・JR側はそのまま伊豆急に乗り入れて伊豆高原や下田に足を延ばしていたのに対して、伊豆急側は熱海まで。過去、幾度か伊豆急車による首都圏乗り入れを画策していましたが、なかなか思うようにいかず、頭打ちとなっていたのは先ほどもお伝えしましたが、登場当初は斬新なカラーリングがウケた185系 「踊り子」 も伊豆には溶け込んだものの、時間が経つにつれて次第に色褪せていくようになります。EF58が牽引して話題を振りまいた客車 「踊り子」 も一瞬のカンフル剤にしかならず、電車に比べて鈍足。しかも、欧風客車 「サロンエクスプレス東京」 を使用した 「サロンエクスプレス踊り子」 や81系和式客車を用いた 「お座敷踊り子」 は、全車がグリーン車扱いだったため、客車の 「踊り子」 はマニアしか乗らないことも珍しいことではありませんでした。
そこに登場した 「リゾート21」 、基本的には普通列車用の車両とあって、連日乗客が押し寄せて度重なる自然災害 (特に地震が頻発して起こった時代でもある) で死にかけていた伊豆半島が息を吹き返しつつありました。そんなスター車両をJRがほっとくわけがありません。第三編成 (後のR3編成) に東海道線乗り入れ対応を施して落成させます。
1988年4月20日、伊豆急下田-東京間に臨時快速 「リゾートライナー21」 が運転され、営業用車両としては初の私鉄車両による東海道本線走行が実現します。この快速はゴールデンウィーク期間中に運転されて大好評となりますが、その年の夏季からは特急列車となり、同年7月23日から土休日のみに運転される 「リゾート踊り子」 として運転されました。ですから、画像の 「リゾートライナー21」 は、1シーズンというよりも、ゴールデンウィーク期間中しか走らなかったレアな列車なんです。
なお、諄いようですが、2100系はあくまでも普通列車用の車両です。それを全車座席指定の特急に使用するのは如何なものかという批判もあったようですが、そこは人気列車。指定席は発売と同時にほぼ完売という大盛況という異例の事態となりました。
「リゾート踊り子」 に充当される車両は基本的にはR3編成ですが、検査や非常時における対策でしょうか、後に第一、第二編成 (R1、R2編成) も毎時高速運転に耐えられるように改造されています。
これに触発されたのでしょうか、 「乗り入れさせてやってる」 JR東日本も、 「次世代の 「踊り子」 」 というべき車両を登場させます。それが251系 「スーパービュー踊り子」 です。
JRも 「俺らもマジになれば、これくらいの車両は拵えられるんだよ」 と言わんばかりの、採算度外視的な車両は、 「リゾート」 だけを意識して製作した車両と言われています。つまり、伊豆急線内だけでなく、東海道線の比較的小規模な駅にもこまめに停車する (当時はしていた) 「踊り子」 とは違い、完全に伊豆半島へのアクセスだけを念頭に置いた設計として、 「列車に乗ったら、そこは伊豆」 のコンセプトも合わさって、既成概念にとらわれない真新しい車両を登場させることが出来ました。
こうして 「リゾート21」 と 「スーパービュー踊り子」 の二枚看板で伊豆半島を甦らせることに成功した伊豆急とJR東日本ですが、かつて、伊豆へのアクセスを画策していた小田急はどういう面持ちで見ていたんでしょうね。そこで小田急は、1991年にJR東海と小田急グループである東海自動車 (東海バス) とタッグを組み、新宿から沼津までは電車で、沼津からバスで西伊豆へ向かうアクセスを起案します。これが、それまで急行で運転されていた 「あさぎり」 の特急化及び沼津への延長運転に繋がるわけですが、専用車両にJR東海が371系を、小田急が20000形 「RSE」 を登場させたのは有名な話。そして、沼津からは東海バスが特急バス 「スーパーロマンス号」 で土肥や堂ヶ島、そして松崎へのルートを確立させました。
話は1990年に戻りまして、 「リゾート踊り子」 は、全車指定席ではありましたが、グリーン車は連結されていませんでした。伊豆急は私鉄でも珍しいグリーン車を連結する列車がありましたが、1986年に一旦、消滅して、グリーン車両 (サロ180形) は普通車両に格下げされていました。1987年に100系を改造して車内を 「リゾート21」 並みにした 「ロイヤルボックス」 が登場し、そのコンセプトを応用したのが2100系の 「ロイヤルボックス」 です。1990年に増備された2100系の第四編成 (R4編成~通称 「リゾート21EX」 ) に連結されたサロ2180形には、トンネルに入ると、光ファイバーを使用して、車内の天井にプラネタリウムを映し出す斬新なアイテムを盛り込みました。全線の1/3がトンネルという、伊豆急らしいアイデアと言えますが、この第四編成登場後は、 「リゾート踊り子」 の運用は基本的に第四編成が受け持つことになりました。なお、サロ2180形は3両増備されて、既存の編成にも連結されましたが、 「スターダストルーフ付きロイヤルボックス」 はローテーションで組み替えられるため、 「リゾート踊り子」 も違う内容のプラネタリウムを見ることが出来ました。
1993年からは、 「リゾート21」 の決定版と言えるR5編成、通称 「アルファリゾート21」 が 「リゾート踊り子」 の運用に入りまして現在に至るわけですが、そのR5編成は2017年7月に大規模なリニューアル改造が行われ、新たに 「THE ROYAL EXPRESS」 として運行されるようになったので、今の 「リゾート踊り子」 は、R3かR4編成が充当されてるのでしょうか?
R3編成は、 「リゾート踊り子」 運用から外れた後は、専ら熱海-伊東-伊豆急下田間の普通列車に充当されていましたが、海沿いを走るため、塩害による車体の腐食が目立ち始めました。それが起因となって、R1とR2編成は登場から僅か20年ちょっとで廃車の憂き目に遭います。R3編成も同様の理由で廃車にする予定でしたが、全般検査を実施した上で更新工事も行われました。そして、外板塗色を100系のオリジナルカラーであるハワイアンブルーに塗り替えられ、 「リゾートドルフィン」 として生まれ変わり、今は、地元の名産である金目鯛をモチーフにした塗色に変更されて 「Izukyu KINME Train」 として今も健在です。
1993年の 「アルファリゾート21」 を最後に、25年もの間、新製車両が全く製造されていない伊豆急行。主力は親会社の東急から譲り受けたセコハンの8000形。それだけ伊豆急の経営状態はジリ貧状態。新車を発注出来るだけのお金が無いんです。JRもまた、185系が草臥れ過ぎているので、新たな 「踊り子」 用の車両を検討しているようですが、それも 「あずさ」 用のE257系を転用するとかしないとか、そんな話を風の便りで聞きます。 「何だよぉ~、 「踊り子」 も他方のセコハンかよっ!?」 と嘆きたくなりますが、それはとどのつまり、伊豆に対して投資をしないということの裏返し。
地元住民の大いなる期待を背負って開通した伊豆急ですが、正念場はまだ続きそうです。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
名列車列伝シリーズ 「特急 「踊り子」 &JR東日本の新型特急電車」 (イカロス出版社 刊)
キャンブックス 「伊豆急50年のあゆみ」 (JTBパブリッシング社 刊)
バスラマインターナショナル復刻版CD-ROM (ぽると出版社 刊)
ウィキペディア (伊豆急行2100形、踊り子)