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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (497)

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国鉄時代において、交直両用の機関車といえば、EF30、EF80、EF81を真っ先に思い浮かべるのは言うまでもありませんが、でも民営化前までは特定の地域でしか見られない 「ご当地機関車」 のような存在でした。EF30とEF81の300番代はは関門トンネルを挟んだ下関 (幡生操) -門司 (門司操) 間限定だったし、EF81は北陸本線や羽越本線といった日本海エリアが主舞台。昭和40年代後半に入って東北本線や常磐線でもEF81の姿は見られましたが、この当時はまだ脇役に過ぎず、しかも直流区間での運用しか認められず、交直両用という機能は発揮されませんでした。それだけ、東北本線と常磐線を中心とした北関東エリアではEF80の存在があまりにも大き過ぎたのです。

電化の進展に伴い、コスト的に安価で済む交流電化も北陸本線を皮切りに東北や九州などに広がっていきますが、そうなると、直流と交流の接点で機関車を取り替える煩わしさが発生するようになります。電車も同じことで、どうやれば交流と直流をスルー出来るか、あるいは機関車を付け替えずにそのまま進むことが出来るか、国鉄技術陣は頭を抱えていました。
そのような中、常磐線も沿線住民の増加に伴って、電化が叫ばれるようになります。既に上野-取手間は直流での電化が完成しており、電車が行き交っていましたが、取手以北に関しても直流による電化が計画されました。しかし、石岡市内にある柿岡地磁気観測所の関係で、直流の電流が地磁気観測に悪影響を及ぼすこと事などから電化が出来ない状況にありました。関東鉄道常総線が今もなお非電化なのと、つくばエクスプレスの守谷-つくば間が交流電化なのはその為です。
しかし、交流の電流なら影響が最小限に留められることが判り、取手以北に関しては50Hzによる交流で電化することを決定し、取手-藤代間に交直変換のデッドセクションが設けられました。

その後、車上切り換え装置など、交直通過に備えての技術が確立され、それらを用いた試作機関車が昭和34年に製造されました。それがED46、後のED92です。
ED46は、田端機関区 (現在のJR東日本田端運転所) に配置されて旅客列車を中心に営業運転を兼ねた試験を行いまして、その結果をフィードバックさせたのがEF80ということになります。元々、常磐線の電化に際しては、新たに交流専用の機関車を用意する計画がありまして、旅客専用ならED級で事足りますが、直流機関車並みの粘着性能が要求される貨物列車はどうしてもEF級でないとその要求を満たすことが出来ない事情もありまして、まずは旅客用機関車の試作に踏み切り、貨物用機関車に関しては、別途、設計することで意見が纏まり、まずED46が試作されたという経緯があります。ですから、そういう意味で言えば、EF80は量産機ですが、計画段階の範疇から考えると貨物専用機として設計・製造されたといっても過言ではありませんでした。しかし、今後の動力近代化が常磐線や東北本線にも及ぶことを鑑みた場合、貨物列車にED46クラスの機関車を充てると、牽引力の不足が予想されたことから、旅客用もEF級でいくことを決めました。そのような背景で、EF80は次々に量産されていくことになります。

交流と直流の両方の機器類を搭載するため、それに伴う重量増を押さえる必要があったことから、EF80も試作機ED46同様に、1台車1モーターを採用しました。
車体は直流機EF60に準じた箱型車体で、重連総括制御は考慮していないことから、前面は非貫通となりました。
前面窓はパノラミック・ウィンドウを採用。EF60が白熱灯一灯の “一つ目小僧” だったのに対し、EF80では小型のシールドビームを左右に1個ずつ配するスタイルとなりました。この段階で、EF60の四次形やEF65は製造されていないので、この前面スタイルは電気機関車の新たな標準となり、EF60やEF65の他にも、EF70やED76など、多くの機関車に採用されました。

F80は製造途中でいくつかの仕様変更を行っています。それぞれ、 「一次形」 「二次形」 と呼ばれており、その変更点を見れば初期形 (一次形) か後期形 (二次形) かは一目瞭然です。
一次形は、引っ込んだ感じの前照灯や台車、窓ガラスの支持構成が車体各部の曲面ガラスが独立しているのが大きな特徴で、二次形は前照灯が張り出した感じになり、台車も変更され、側面明かり取り窓のHゴム化などが特徴になります。また、後年になって、一次形の特徴でもある引っ込んだ前照灯が車体前面から上がってきた雨水で腐食するようになり、これの対策として前面窓上にヒサシが取り付けられました。二次形にはヒサシは取り付けられていません。

車体もそうですが、仕様面に関してもEF80は大きく二つに分かれます。
前述のように、旅客も貨物も一手にEF80が受け持つことになったわけですが、旅客列車の場合はまだ冬季における客車供給用の暖房を作る必要がありましたので、暖房発生装置としてEG (Electric Generator) が採用されています。貨物列車牽引の場合は暖房装置は必要ありませんので、EGは装備されていません。ただ、夏季や20系客車牽引の場合はこの限りではありませんので、貨物用機でも客車を牽引することがあったようです。
旅客用として製造されたのは、1~30、59~63号機で、貨物用が31~58号機でした。EG表示灯がくっついていれば旅客用で、それが無ければ貨物用という風に分類出来ます。

一部に東北本線での運用もありましたが、基本的には常磐線での運用がメインでして、急行列車から貨物列車まで幅広く活躍し、まさに 「常磐線のヌシ」 として君臨するようになります。電車化や気動車化も進んでいましたが、やはり常磐線優等列車の基本は客車。従って、EF80の活躍ステージはさらに広がることになります。
そんなEF80に新たな仕事が与えられました。それが寝台特急 「ゆうづる」 の牽引です。昭和40年に運行を開始した 「ゆうづる」 は、上野-平間でEF80が受け持ちますが、やはりお目当ては平-仙台間におけるC62牽引でしょう。電化進展に伴う電気機関車の勢力拡大で、東海道本線や山陽本線では既にC62による特急牽引は消滅していましたが、常磐線では未電化区間がまだ残されており、普通列車牽引を中心に余生を過ごしていたC62に再び特急牽引のチャンスが訪れます。この列車のために新たに新調されたヘッドマークは、たちまちファンの間で話題になり、特に日の出が早まる夏至以降は多くの撮り鉄がワンチャンスをものにすべく、訪れたという伝説があります。
この 「ゆうづる」 のヘッドマークは当然、EF80にも取り付けられましたが、小豆色の車体と赤い 「ゆうづる」 のヘッドマークもまた、似合っていました。

EF80の運用範囲は拡大され、水戸線や新金線を介して新小岩操車場まで、さらに総武本線を通って外房線の蘇我までの運用、武蔵野線でもその姿を見ることができました。
昭和48年に新製のEF81が田端機関区に配置されますが、EF80はまだまだ働き盛りで、常磐線への入線を一切拒否し、EF81は東北本線で細々と貨物列車の牽引に充当される日々を過ごしました。
その盤石ぶりに翳りが見え始めたのが昭和50年代に入ってから。さしものEF80も老朽化が見え隠れし始め、この時を待っていたとばかりに、EF81が常磐線にも進出し始めました。これに加勢するように、富山機関区や酒田機関区、さらには門司機関区からもEF81が転配されて、EF80の勢力を崩し始めます。そうした中、昭和55年からEF80の廃車が始まり、気がついたら組織率はEF81の方が上回り、逆にEF80を見る機会が少なくなりました。なお、EF80は田端機関区と内郷機関区に集中配置されていましたが、田端が一次形、内郷が二次形と大きく分かれていました (内郷機関区が開設されるまで二次形は勝田電車区に配置されていた) 。昭和60年に内郷機関区が廃止になると、僅かながら残されていた内郷配置機も田端に配属されるようになり、同年3月~9月に開催された国際科学技術博覧会 (筑波万博) への輸送が最後の花道となりました。
全廃は昭和61年で、JRへの継承は1両もありませんが、一次形 (36号機~大宮総合車両センター) と二次形 (63号機~碓氷峠鉄道文化むら) が1両ずつ、静態保存されています。

さて、あらためて画像を見ますと、引っ込んだ前照灯から一次形と判別出来ますし、EG表示灯が備わっていますので、旅客用となります。牽引される側の客車ですが、81系和式客車であるのは説明するまでもありません。ただ、どこの客車なのかは、画像を見る限りでは判別は不可能ですね。まぁ、塗色が違ういわゆる 「ミハ座」 と 「シナ座」 ではないのは判りますが、12系改造の和式客車が登場するまで、81系は金沢、静岡、門司、長野、名古屋の各鉄道管理局が所有していました。撮影地が常磐線内だと思われますので、可能性があるのだとすれば、門司以外なのかなという気がしないでもありません。

冒頭お伝えしたように、EF81が全国規模で大ブレイクを果たすのはJR化後です。それまでは地味な機関車というイメージは拭えず、特に首都圏ではこのEF80様が闊歩していたので、コアな電気機関車マニアからすれば、 「日本海でしか見られないEF81が首都圏でも見られるっ!」 と小躍りしたみたいですが、全国レベルで見れば、EF81はやっぱり目立たない機関車でした。私も 「常磐線のイメージは?」 という問いがあったとすれば、やっぱり 「EF80かな?」 と応えるでしょうね。

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)
鉄道車輌ガイド 「交直流電機の尖兵 ED46 (ED92) 」 (ネコ・パブリッシング社 刊)
鉄道ファン No.392 (交友社 刊)
ウィキペディア (国鉄EF80形電気機関車、同ED46形電気機関車、電気暖房装置など)


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