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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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あれから20年・・ の巻

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5月6日 (火曜日) 曇り時々雨
 
ゴールデン・ウィークも今日で終わり。いつものように、あっという間に終わりました。
朝から音が聞こえるくらいの本降りの雨に見舞われていましたが、日中は回復するって予報だったんですよ。にもかかわらず、結局曇り空のままでした。
 
さて、今を遡ること20年前、1994年5月1日が何の日であったかというのは、モータースポーツファンなら誰でも知っていることなんですが、 「音速の貴公子」 と呼ばれたF1界のスーパースター、アイルトン・セナがイタリア・イモラの地で事故死してから20年が経ちました。
 
1994年のF1シーズンはハイテク機能が全面的に禁止になってから初めての開催ということで、各マシンはエンジンだけでなく、エアロダイナミクスに頼るしか方法がありませんでした。それがマシン全体のバランスを崩し、特に上位チームはその熟成に手間取りました。そんな中で、開幕戦からミハエル・シューマッハーが連勝し、セナ自身も焦りを抱えた中で迎えたヨーロッパラウンドの初戦がサンマリノグランプリだったわけですが、GP1日目から波乱含みのグランプリでした。まず、ジョーダンに乗るルーベンス・バリチェロが大クラッシュして、病院に搬送されるトラブルが発生。そしてGP2日目はシムテックに乗るローランド・ラッツェンバーガーが予選アタック中にコンクリートウォールに激突して死亡するという痛ましい事故が発生。F1グランプリでの死亡事故は1982年以来、12年ぶりのこと (ストーブリーグを含めると、1986年のエリオ・デ・アンジェリスのテスト走行中における事故死以来、8年ぶり) で、サーキットに緊張が走りました。決勝レース開催が危ぶまれますが、予定通り続行。しかし、ここでも初っ端からトラブルが発生しました。スタート直後、エンジンストールしたベネトンのJ.J.レートに後続からもの凄い勢いでダッシュしていたロータスのペドロ・ラミーが追突、破片が観客席にまで飛び込む騒ぎになりました。しかし、レースは赤旗にならず、セーフティーカーを投入してマシンをゆっくりと走らせながら、コース上の破損物を取り除く作業をしていました。F1界において “タラレバ” は禁物ですが、もし、この時、赤旗を出してレースを中断させていたら、セナは最悪でも生き長らえたかもしれません。しかし、実際は赤旗中断ではなく、セーフティーカーによるレース続行でした。それから程なくして、最悪の悲劇が訪れます。高速コーナーとして名高いタンブレロコーナーで、ウィリアムズのセナがコーナーを曲がりきれずにそのまま激突。医師達の懸命な治療にもかかわらず、セナは天に召されました。
 
これ以降、F1グランプリは大きく転換することになりますが、やはりどの世界もアクシデントが起きないと、統括する組織は動かないのが現状。でも、12年間も死亡事故が起きなかったのだからと、F1グランプリを運営するFIAやFOCA (いずれも当時の組織名) は 「F1は安全だ」 とばかりに、何もアクションを起こさなかったんですね。
 
こうしてアイルトン・セナはレジェンドとなりましたが、私がF1にハマったのもちょうどこの頃。1993年の日本グランプリを見てから、本格的にF1にのめり込むようになりましたが、今は全く見ていません。今年は小林可夢偉がF1に復活するなど、日本にとって明るい話題もありますが、やっぱり面白味に欠けます。
 
皆、一様にして言うのは「セナがいた頃のF1が一番面白かった」ということ。 「昔は良かった・・」 と言うと年寄りになった証しと言われてしまいますが、現実にそうだったんだから致し方がありません。
セナ人気だけではF1人気ももちません。そこにライバルなどが存在して初めて人気というのが成立します。セナが輝いていた時代、他のドライバーも個性豊かな人材が揃っていて、飽きが来ない時代でもありました。アラン・プロストを筆頭に、ナイジェル・マンセル、ゲルハルト・ベルガー、ジャン・アレジ、ネルソン・ピケ、リカルド・パトレーゼ、ミケーレ・アルボレート、ティエリー・ブーツェン、デレック・ワーウィックなど、日本人では中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京といったメンツがセナを取り囲み、F1を面白くしていきました。シューマッハーやミカ・ハッキネン、デイモン・ヒルはまだ駆け出しの頃でした。職場の話題も常に 「昨日のレースは良かった」 とか 「○○ (ドライバーの名前) があそこでリタイアするとは思わなかった」 とか、F1の話題が中心でした。
 
画像は1991年シーズンを戦ったマクラーレン・ホンダ MP4/6の1/20の模型です (田宮製) 。
この年は、ホンダが久々にV12エンジンを搭載して、万全の体制で臨んだシーズンでした。開幕から4連勝と勢いに乗るマクラーレンでしたが、次第にウィリアムズ・ルノーが躍進すると、マクラーレンも劣勢になりまして、結果的にはセナ&マクラーレンのチャンピオン獲得になるのですが、翌1992年はウィリアムズ&マンセルの独壇場でしたね。
 
この頃のF1の話になると、止まらなくなるのでもう止めますが、これも “タラレバ” になってしまいますが、セナが生きていたら、どんな人生になっていたでしょうね・・?

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