昭和後期の相鉄を代表する2形式が揃い踏んでいます。
旧6000系とか3000系とか5000系も “昭和相鉄” を代表する形式なんでしょうけど、私のイメージはどうしてもこの2形式に絞られてしまいます。日常の生活で相鉄は全然縁が無いのもそのイメージに拍車をかけているのも否めません。
“東武顔” 、 “西武顔” 、 “小田急顔” 、 “名鉄顔” 、 “阪急顔” ・・・といったように、各私鉄ではその時代時代でトレンドとなる前面形状があり (勿論、国鉄でもありましたけど) 、相鉄の場合はまさに “この顔” がその時代を彩りました。ただ、新6000系と7000系の車体の大きさが如実によく判るツーショットでもあり、7000系の方が幾分、面長に見えるのは私だけでしょうか。
新6000系については以前に弊愚ブログで取り上げていますので、ここでは割愛しますが、7000系は姿形を変えて今でも活躍しています。ただ、 “この顔” の7000系が存在するのかどうかはよく判っていません。
相鉄では既に6000系が幅を効かせていた昭和40年代、準大手ながら、独自の開発技術によって大手に引けを取らない新型車両を送り込んでいました。車体の軽量化もその一環で、山陽電鉄2000系とともに、本格的にアルミ車体を採用した事業者の一つに数えられています。そういえば、山陽電鉄も大手じゃ無いので、山陽も相鉄も何処かで 「大手に負けてなるものか」 という意識は多分にあったものと思われます。
そんな中、1967年に6000系のモハ6021が試験的にアルミ車体を採用して落成しました。アルミ素材の大きな利点は何よりも車体を軽く出来ることにあり、実際に普通鋼製のモハ6000形と比べても4.5tの軽量化に成功しています。これをたたき台にして、旧形車両の2000系や5000系をアルミ車体に載せ替える大がかりな車両更新工事が1970年代から始まり、2000系は2100系として、5000系は5100系として生まれ変わりました。しかし、足回りは先代のをそのまま流用したために、旧形であることは変わりなく、足回りも含めた抜本的な車両の刷新は避けられない状況になりました。そこで、1970年から製造が始まった新6000系の足回りに、2100系や5100系などで培ったアルミ車体を本格採用した新型車両を製造することになり、1975年に登場したのが7000系です。
モハ6021では通常の鋼製車体に比べて4.5tの軽量化を実現しましたが、7000系ではロール材などを使用してさらなる軽量化を目指した結果、構体重量は何と3.6tと、当時としては驚異的なシェイプアップに成功しました。総重量でも新6000系と比べて約5tの軽量化が実現しています。
7000系は相鉄初の新製冷房車です。6000系や5000系などのように、当初は非冷房車で後々冷房改造されたケースは数例ありますが、新製当初から冷房装置を取り付けて落成したのは7000系が最初なんだそうです。そして相鉄独自のパワーウィンドウも標準装備されています。
台車はローターとキャリパーが丸出しのディスクブレーキ仕様ですが、パイオニアⅢではありません。ディスクブレーキ+パワーウィンドウなんて、当時の自動車ですら、高級スポーツカーでしか標準装備されていないのに、それが鉄道車両で、しかも一般の通勤車両に最初から付いていたというのは画期的なことだったんですよね。
登場当初は4両と6両が存在しましたが、4+4あるいは6両単独での運用がメインで、6+4の10両編成というのは当時は存在しなかったようです。その後、増備の中間車を組み込んで全車7両編成としました (その後、10両編成が組めるようになった) 。
1986年からの増備分から前面形状が大幅にリファインされて、区別するために 「新7000系」 と呼ばれるようになりますが、今回は割愛させていただきます。
7000系は2017年4月現在。10両編成が5本と8両編成が4本、そして予備車が6両の合わせて88両が在籍していますが、まだ旧マスク車も残っているようですね。ただ、将来的に予定されているJRや東急への乗り入れは対象外のようで、相鉄線内のみの運用で余生を過ごすようです。さらに車齢40年近く経つのもありますので、そのJRや東急乗り入れの際に新型車両との置き換えも予想されますので、 「乗るならお早めに」 といったところでしょうか・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
ウィキペディア (相鉄7000系、6000系、2000系、5000系)
相鉄新6000系についてはこちらも。