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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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思い出の駅

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阪神電車と阪急電車が寄り添って発車を待っていますが、阪急と阪神が並ぶとなれば、高速神戸駅ですか? まさかぁ~っ!!
地元の人と阪神、阪急それぞれのフリークならここが何処だか “瞬殺” 的にお判りかと思いますが、ここは今津駅です。1992年の撮影ということで、今から25年前の今津駅になります。最近の阪神、阪急それぞれのフリークだと判らないかもしれませんが、かつての今津駅は地上ホームでした。
このホームの形態からして、阪神本線の上り線と阪急今津線 (今津南線) は同一ホームで、双方でダイレクトに乗り換えが可能なように見えますが、実際は金網で仕切られていて、乗り換えは不可だったようです。後述する事故が無ければ、もしかしたら乗り入れも実現出来ただろうにね。

今津駅を最初に設置したのは阪神でした。1905年に阪神本線の開業に際して今津駅を設置しました。そして1926年には阪神急行電鉄の今津線が延伸された際に今津駅を設置しましたが、その時の今津線はさらに延長計画があったため、今の場所よりやや北側に仮駅を設置しました。阪急との乗り換えを容易にするため、阪神もこの地に新たな今津駅を置き、それまでの今津駅は久寿川駅と名乗りました。阪急今津 (仮) 駅が1926年12月18日、阪神今津 (二代目) が同19日という開業日になっていますが、ギリギリ大正15年になります。あと1週間 (開業が) 遅れていたら、 「昭和元年」 の開業になっていたんですよね。
結局、今津線の延長計画は雲散霧消したみたいで、1928年に仮駅から現在の場所に移りました。

今津駅といえば、1949年に阪急の電車が今津駅の車止めを突き破って阪神の線路に “侵入” し、隣の久寿川駅まで走ってようやく停車するという事故が発生しました。いわゆる 「今津線暴走事故」 という事故ですが、これは阪神国道駅でコンプレッサーの故障によってブレーキが緩まなくなったことから、修理をしようとしたら、誤ってドレンコックを開いちゃったがためにエアーが抜けてブレーキが緩み、電車はゆるゆると動き出して、40‰ある下り急勾配を一気に加速し始めました。手ブレーキを使うも効果無しで、前述のように今津駅の車止めを突き破って阪神線内に入ったという顛末。当時の新聞は 「阪急、阪神に殴り込み」 と大々的に書き立て、この事件はまたの名を 「阪急殴り込み事件」 と言われています。
この暴走電車が “侵入” する寸前に大阪行きの急行が走り去り、その1分後に普通電車がやって来ていたため、タイミングがずれたら大惨事になっていました。

因みに、この当時は阪神と阪急の線路は繋がっていましたが、この事故を機に繋がらなくなりました。
長らく地上ホームでしたが、西宮市道と阪神線の踏切を廃止する目的で高架化されることになり、まず阪急が高架化工事に着手、1993年に200メートル北側に仮設ホームを設置しました。1995年に発生した阪神淡路大震災の復旧工事でもそのまま高架化工事を継続させて、同年12月に阪急の今津駅が高架駅となりました。次いで阪神も高架化工事に着手し、1998年に下り線が高架駅となり、2001年に上り線も高架化となりまして今津駅は完全に高架駅となりました。

阪急今津線は普通列車しか設定が無いのですが、阪神は区間特急や急行も停まる比較的大きな駅です。また、土休日は快速急行も停まります。

我らが石野真子さんも通学していた時は、この今津駅で阪急に乗り換えたんでしょうね・・・。

【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
ウィキペディア (今津駅、阪急今津線、阪急今津線暴走事故)


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