機 番:10号機
新 製:昭和22年4月22日製 造:三菱重工/三菱電機製造番号:No.556 (三菱重工) 、No.331 (三菱電機)新製配置:東京機関区最終配置:昭和54年12月17日【改造履歴 (一部) 】昭和23年 8月10日~:第一次装備改造 (ガーランド型通風器の取り付け、補機室固定窓を引き戸に改造、デッキに円盤かけを取り付けなど75項目)施工は東芝で10月30日まで入場。昭和24年12月17日~:パンタグラフをPS14に取り替え、デッキの手摺りを強化 (施工は浜松工場で12月26日まで入場) 。昭和28年 1月 6日~:新車体に載せ替え (施工は東芝で3月3日まで入場) 。新車体時は大窓。旧車体はEF13 16号機に移植。昭和29年12月15日~:合図手手摺り (握り棒) を取り付け (施工は浜松工場で12月21日まで入場) 。昭和31年 3月 1日~:電気式速度計を取り付け (施工は浜松工場で3月6日まで入場) 。昭和31年 8月30日~:前面窓上に雨よけを取り付け (施工は浜松工場で9月5日まで入場) 。昭和32年 2月 2日~:ワイパーを電気式に取り替え (2基) 、SGの煙突を改造 (施工は浜松工場で2月8日まで入場) 。昭和32年12月20日~:前照灯をLP420型に交換 (施工は浜松工場で12月26日まで入場) 。昭和33年 6月 7日~:合図手踏み段を取り付け (施工は浜松工場で6月13日まで入場) 。昭和37年 4月13日~:屋根昇降段を切り欠き式に改造 (施工は浜松工場で4月20日まで入場) 。昭和40年 1月 8日~:ワイパーを空気式に取り替え (施工は鷹取工場で1月16日まで入場) 。昭和42年10月 9日~:鎧戸のビニロックフィルター化 (施工は広島工場で10月18日まで入場) 。昭和46年 2月 5日~:避雷器をLA15型に交換 (施工は広島工場で2月17日まで入場) 。昭和46年 4月10日 :お召し予備機に指定され、特別整備 (広島工場)昭和48年 :車体整備 (施工は広島工場) 。ワイパーをWP50に取り替え。側面窓枠のアルミサッシ化。正面ガラスのHゴム化。標識灯の取り替え。【転配履歴 (赤字で記しているのは貸し出し扱い) 】昭和24年 1月10日:沼津機関区昭和24年 4月20日:浜松機関区昭和24年12月10日:沼津機関区昭和25年 1月 3日:浜松機関区昭和26年10月25日:沼津機関区昭和27年 3月 1日:浜松機関区昭和31年 3月20日:長岡第二機関区昭和31年 8月28日:浜松機関区に返還昭和37年 7月 7日:広島運転所昭和42年 4月 1日:広島機関区昭和49年 6月22日:宇都宮運転所昭和53年11月17日:第一級休車に指定昭和54年12月17日:第二級休車に指定
新製後、しばらくは浜松と沼津を行ったり来たりして、東海道本線の客車列車等を牽引していましたが、新車体載せ替えがメインの第二次装備改造では東芝の施工第1号として実施されました。その工事が早かったため、前面窓は大窓で落成しましたが、それがいつ小窓に改造されたのかは不明です (昭和48年の車体整備の際に小窓+Hゴム化が濃厚) 。
昭和30年代後半から40年代中盤にかけて山陽路で活躍しましたが、晩年は宇都宮で東北本線の客車列車や荷物列車を牽引して余生を過ごしました。
広島運転所にて (画像提供:ウ様)
正面大窓+茶色塗装のため、昭和37~40年頃の撮影か。
宇都宮運転所にて (画像提供:タ様)
撮影時は既に休車中とのことだったので、廃車になる昭和53年から54年にかけての撮影か。