この光景も殆ど見られなくなりました。
平成生まれのお子ちゃま鉄道ファンには馴染みが薄いかと思いますけど、車両が検査の為に工場に入場する際か、あるいは工場で検査を終えた車両が自らの塒に戻る、というような時に出番となるのが牽引車です。
今では編成単位で検査を受けるのが殆どなので、工場への入出場は基本的に自力回送か、大がかりな検査 (改造等を含む) になると、機関車が牽引するパターンもあるようですね。最近撮り鉄がこぞってターゲットにしているネタとして 「配給回送」 がありますが、画像も広義で言えば 「配給回送」 に分類されるかと思います。昔は単に 「入場回送」 とか 「出場回送」 とか言う人もいまして、 「配給」 っていうと、工場から車両基地へ車両の部品を届けに行く 「配給電車」 をついついイメージしてしまいます。
しかし、昭和国鉄の時代は、車両1両1両ごとに検査時期が決まっていて、特に転配などで編成もバラバラになっていますので、検査周期の違う車両同士が編成を組んで走れば、必然的に検査が近づいてきた車両を切り離す必要があります。何処の車両基地にも 「予備車」 が待機していて、検査で切り離された車両の代わりに、その予備車を連結して営業運転に就かせますから、1編成まるまる運用から外れることはありません。特に中間車だと、当然、中間車だけでは自力運転することが出来ないので、やっぱり牽引車の出番となるのです。
「牽引なら機関車がやるんじゃないの?」 というのは、最近の傾向であり、よほどのことが無い限り、電車の入場回送や出場回送は牽引車が一手に引き受けていました。今でも、たまにクモヤ143 (首都圏) やクモヤ145 (関西圏) 辺りが1~2両の電車を牽引して工場へ送り込んだり、車両基地へ戻したりということをしていますけど、クモヤ143やクモヤ145が登場する前の牽引車の代表選手といえば、やはりクモヤ90をおいて他にはありません。
クモヤ90は旧形国電の72・73系を改造して昭和41~50年の間に36両が登場しました。クモヤ90登場前は17m級のクモヤ22がその代表格でしたが、旧モハ30系をベースにしていたため、老朽化が著しく、その後継として登場したものです。
当初はボディも種車そのまま使っていましたが、増備分からはクモヤ145に似たボディに載せ替えましたので、さらに標準屋根と低屋根が存在したので、バラエティに富んだ車種構成になります。
モハ72217→クモヤ90000 (大井工場) 南チタ
モハ72250→クモヤ90001 (大井工場) 南チタモハ72137→クモヤ90002 (大井工場) 広セキモハ72053→クモヤ90003 (郡山工場) →クモヤ90802に再改造 (長野工場) 西ミツモハ72064→クモヤ90004 (郡山工場) 天ヒネモハ72258→クモヤ90005 (郡山工場) 名カキモハ72286→クモヤ90006 (郡山工場) 新ニイモハ72300→クモヤ90007 (郡山工場) 大タツモハ72301→クモヤ90008 (郡山工場) 大タツモハ72039→クモヤ90009 (大井工場) 南コツモハ72139→クモヤ90010 (大井工場) →クモヤ90805に再改造 (長野工場) 長ナノモハ72179→クモヤ90011 (大井工場) 高シマモハ72272→クモヤ90012 (大井工場) 南シナモハ72297→クモヤ90013 (大井工場) 西ムコモハ72314→クモヤ90014 (大井工場) 大タツモハ72120→クモヤ90015 (幡生工場) →クモヤ90803に再改造 (長野工場) 長モトモハ72298→クモヤ90016 (幡生工場) 大タツモハ72173→クモヤ90017 (浜松工場) 大タツモハ72225→クモヤ90018 (郡山工場) 西トタモハ72152→クモヤ90019 (郡山工場) 千ツヌモハ72268→クモヤ90020 (浜松工場) →クモヤ90804に再改造 (長野工場) 名シンモハ72316→クモヤ90021 (郡山工場) 高シマモハ72091→クモヤ90022 (郡山工場) 南フナモハ72043→クモヤ90051 (長野工場) 大ホシモハ72058→クモヤ90052 (長野工場) 大ホシモハ72261→クモヤ90053 (郡山工場) 静シスモハ72232→クモヤ90054 (郡山工場) 広ヒロモハ72248→クモヤ90055 (郡山工場) 天ヒネモハ72259→クモヤ90101 (郡山工場) 新ニイモハ72694→クモヤ90102 (郡山工場) 名シンモハ72934→クモヤ90103 (鷹取工場) 岡オカモハ72693→クモヤ90104 (幡生工場) 岡オカモハ72684→クモヤ90105 (幡生工場) 広ヒロモハ72715→クモヤ90201 (郡山工場) 大タツモハ72706→クモヤ90202 (鷹取工場) 大タツモハ72312→クモヤ90801 (長野工場) 長ナノ(各車の配置区所は、昭和55年現在)
各車の共通として、KE70形ジャンパ栓を装備したことが挙げられます。これは103系対応だと言われています。50番代は、新旧性能ブレーキの自動読み替え装置を装備した車両で、100番代は耐寒耐雪装備を追加装備しています。200番代は交直流車両対応で、アダプターの取り付けが出来ないジャンパ連結器を採用しています (100番代の102以降は、アダプターが取り付けられるジャンパ連結器を装備) 。800番代は説明するまでもなく低屋根車になります。
100番代の101は、0番代や50番代と同じく、種車のボディをそのまま流用していますが、102以降は車体を新しくしているので、台車を見ないとクモヤ90なのかクモヤ145なのか判別が付きにくくなっています。あっ、色で判別出来るか。クモヤ145は青15号+前面に黄色5号のの警戒腹巻きで、クモヤ90はぶどう色2号+前面に黄色5号の警戒腹巻きを採用しているので、だから一目瞭然でしたね。
さて、画像ですが、これね、最初はクモヤ90だと思っていたのですが、485系と583系を牽引しているので、クモヤ90ではなくて、クモヤ91になります。画像では判りにくいのですが、屋根に交流の検知アンテナ (静電アンテナ) を搭載しています。
基本構造はクモヤ90と同一ですが、制御器と自動ブレーキの自動読み替え機能を備えています。
モハ72134→クモヤ91000 (郡山工場)
モハ72238→クモヤ91001 (吹田工場)モハ72269→クモヤ91002 (郡山工場)モハ72279→クモヤ91003 (吹田工場)(配置は全車、向日町運転所)
画像は、新大阪駅から撮っているものと思われます (画像奥が東淀川駅かな) 。だとすれば、大阪方からクモヤ91+サハ481+モハネ582 (モハネ580?) +モハネ583 (モハネ581?) ×2+クハ481の隊列です。485系も583系もパンタを上げているので、廃車回送ではないと思いますが、工場への入出場回送でもパンタは上げるんですね。無動力回送じゃないんだ。
で、入場と出場、どっちかなと思いながらこの画像を眺めていましたけど、向日町からの行程としては、大阪駅を通過して、塚本駅の先にある塚本信号場から北方貨物線に入り、宮原操車場を掠めながらリバースするような感じで新大阪駅から再び東海道本線に合流するものと思われます。というのも、昭和も平成も東海道本線の旅客線からダイレクトに吹田工場へ入出場出来る線路配置ではなかったはず。故に、一旦、北方貨物線と吹田操車場を経由して吹田工場へ入るのではないでしょうか。もし、検査が終了して向日町へ戻るとしても、やはりダイレクトに吹田工場から東海道本線へは合流出来ないので、出場回送とは考えにくいです。仮に出場回送だとしても、北方貨物線をリバースして向日町に戻りますので、新大阪での撮影だとすれば、モハネ582が東京方を向いていなければなりませんので (北方貨物線をリバースしてモハネ582が大阪方を向くようになる) 、やっぱり無理があります。ですので、この画像は向日町から吹田工場への入場回送というふうに結論づけたいと思います。
時刻表には掲載されないイレギュラーな列車ですけど、昭和50年代に入って種車の問題から老朽化が顕著になった車両もあり、首都圏ではATCの絡みもあったので、代替となるクモヤ143やクモヤ145が登場してクモヤ90を置き換えるようになります。それでもJRに継承された車両もあり、国鉄形車両のエスコートをし続けてきました。JR東日本所属車は平成9年に、JR東海所属車は平成13年に、そしてJR西日本所属車は平成14年にそれぞれ廃車となりました。このうち、JR東海所属車のクモヤ90005が種車のさらに種車であるモハ63638に戻されて、名古屋のリニア・鉄道館に保存されています。
荷物電車、配給電車、そして牽引車による工場入出場回送など、国鉄時代にはこういうグロテスク且つ楽しい列車が華やかな営業用列車の合間を縫って闊歩していました。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.866 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.230 (交友社 刊)
ウィキペディア (北方貨物線)