国鉄の気動車は、1両単位から編成が組めるのが大きな利点で、尚且つ、異形式の車両とくっつけて走らせることも可能なことから、幹線、ローカル線問わず、非電化区間に行くと、全く統一化されていないありとあらゆる車両が折り重なって走る姿を散見しました。画像も然りで、キハ58+キハ17系+キハ35系・・と続き、画像には写っていませんが、キハ35の次位はキハ55系が連なっていました。気動車ファンからすれば、 「これぞ、気動車の醍醐味っ!」 となるのでしょうけど、まぁ、確かに魅力っちゃあ魅力なんでしょうけどね。
さて、先頭のキハ58ですが、通常のカラーと異なります。本来はクリーム (クリーム4号) を主体に、窓回りにはスカーレット (赤11号) を配したツートンカラーですけど、この車両は外板塗色が黄色になっています。察しの良い方ならお判りでしょうけど、これはいわゆる 「修学旅行用」 として登場した800番代になります。
修学旅行用といえば、電車の155系や159系などが有名ですが、この電車の成功によって他の地域でも 「是非、ウチの地区にも修学旅行の専用車両を・・」 という声が上がりました。しかし、この時代はまだ電化されている方が少なく、幹線と言えど、非電化区間の方が圧倒的に多かったので、なかなか155系のような電車を投入するのは難しかった背景がありまして、それなら、気動車を使って似たような車両を造りましょうと、昭和36年に登場したキハ58系をベースに、内装を155系とほぼ同一の仕様にした800番代が製造されました。時に昭和37年のこと。
800番代は全部で32両が製造され (キハ58:19両、キハ28:13両) 、主に北九州地区と東北地区に投入されました。なお、800番代は改造ではなくて純然たる新製車です。
前述のように、内装を155系に準じた仕様として、跳ね上げ式のテーブルや洗面台の拡充、車端部には急病人が休養するための腰掛けを設置しました。155系は3人掛け (1ボックス6人) と2人掛け (同4人) というシートレイアウトとなっていますが、キハ58 800番代は一般車同様に、2人掛け (1ボックス4人) のシートになっています。
塗装パターンは一般車に準じていますが、これも155系と同様の塗料を使用しており、黄色 (黄色5号) と朱色 (朱色3号) とのツートンカラーとしました。画像の車両は光の加減から赤にも見えなくもありませんね。
東北-東京方面は 「おもいで」 、北九州-関西方面には 「とびうめ」 と愛称が付きました。オフシーズンには一般車との混結で臨時列車にも充当されましたが、この頃になると幹線の電化も進捗し、特に西日本では山陽新幹線の開通が痛手となって、活躍の場はそんなに長くはありませんでした。東日本も特急列車が勢力を伸ばすと、修学旅行も特急にシフトしていき、役目を終えることになります。
155系や159系が一般用に改造されたのと同じように、800番代も一般車に改造されることになりますが、中には内装や塗色などの変更を行わない車両もあったりしました。国鉄末期の昭和62年までに全車が廃車となったため、JRに継承された車両はありません。
私も林間学校や修学旅行といった校外活動は経験していますが、残念ながら155系やキハ58 800番代の世代ではありません。中学は往復新幹線、高校は往復飛行機でしたから、車内や機内での思い出というのが殆どありません。車両的に一番印象に残っているのが、小学校の林間学校 (日光) での東武5700系というのがミソでしょ・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.489 (交友社 刊)
国鉄車輌誕生秘話 (ネコ・パブリッシング社 刊)
ウィキペディア (キハ58系)