Quantcast
Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

続 「東武の165系」

$
0
0
イメージ 1

昭和の東武鉄道は、車両や列車、その種別設定など、国鉄に準えていた部分が多々あり、良くも悪くも 「国鉄に似てない?」 と思わせる箇所がいくつもあったと子供心に感じていました。実際は違うんでしょうけど、画像の6000系電車は 「165系を真似てない?」 とその頃はいつも思っていました。それでいつしか、 「東武の165系」 と形容するようになったのです。

1970年代、日光線系統の急行が廃止になって、フラッグシップが特急、その下に快速急行という位置づけになりました。もっとも、快速急行は不定期列車なため、定期列車としてのナンバー2は快速になりますが、6000系はそういった快速や快速急行用に登場した車両です。
6000系登場以前から、東武には様々な優等列車が走っていましたが、その中に 「準快速」 というのがありました。しかし、実際には準急を格上げしたような列車でして、速度が極端に遅く、使用車両もガチガチのロングシートで構成された旧型車ばかり。 「日光・鬼怒川に行くのに、こんなショボい列車に乗せるのか?」 と乗客から不満が続出していました。特急用にDRCが華々しくデビューして、準快速にもそういった車両を充てて欲しいというニーズに応えたのが6000系ということになりますが、登場時期も165系に拮抗していますよね (165系は1963年、東武6000系は1964年) 。

車体は前年に登場した通勤用8000系に準じていますが、似ているのは顔だけで、優等列車用らしく、デッキなし2扉ボックスシートを採用しています。8000系では貫通扉上部に設置された行く先方向幕を6000系では運転台窓上に移しました。また、浅草-下今市間で併結運転を行うのが通例だったために、誤乗防止の観点から、側面にも行く先方向幕を設置しました。
室内はボックスシートがメインですが、扉付近に 「サイドシート」 と称する、小振りなロングシートを配置させています。国鉄流に言えばセミクロスシートになり、分類上は近郊形車両に属しますけど、勿論、東武に 「近郊形車両」 というカテゴリーはありません。あくまでも急行・快速用になります。

後述しますが、6000系は2両固定で、モハに主電動機、主抵抗器、パンタグラフを装備、クハに電動発電機と電動空気圧縮機、そしてトイレを備えています。
主電動機は8000系と同じ機種 (TM-63) を採用しています。また、日光線用ということもあって、発電抑速ブレーキを採用しています。
制御器は、1720系と同じものを搭載していますが、6000系は1M方式で且つ主電動機のつなぎが永久直列なため、力行ステップは抵抗制御と弱め界磁制御のみで、直列並列の切り替えは行っていません。そこが1720系のものとの差異になりますか。

登場当時から日光線系統の快速に充当され (準快速は6000系登場時に快速に統一されて廃止) 、1700、1720系特急をフォローするのに十分な俊足ぶりとホスピタリティを備えていましたが、唯一の欠点は冷房装置が無いこと。それでも、1966年までに44両が新製されて (2両固定×22本) 、2両1ユニットという小回り抜群の組成構成は、事実上の3両1ユニットである165系と相通じるものがあります。

前述のように、登場時は快速と有料急行に充当されていましたが、1976年に日光線系統の有料急行を廃止して快速急行に統一しました。これは伊勢崎線系統に1800系急行 「りょうもう」 が運行されていたための措置で、同じ急行なのに、片や冷房付き転換クロスシートという特急並みの設備を誇り、片や転換しないボックスシートで冷房無しという “格差” を是正するためだと言われています。「だったら、 「りょうもう」 を特急にすれば良かったんじゃない?」 と誰しもが思うところですが、東武的な考えは、 「1800系はあくまでも急行であり、決して特急ではない」 というもの。だから、 「りょうもう」 は急行のままで、 「だいや」 「おじか」 を快速急行に堕としたという経緯があります。
これによって、伊勢崎線、日光線を一括りにしてまとめると、種別の最高峰が特急で、以下、急行、快速急行、快速、準急 (準急A) 、普通という順付けになりますが、6000系は快速急行と快速用に充当されることになります。

1976年に急行が廃止されて快速急行になったというのは先程もお伝えしましたが、それまで定期、不定期合わせて、日光・鬼怒川方面には多数の有料急行が運転されていました。しかし、東海道新幹線開通前の東海道本線同様に、殆ど運行区間が同じなのに、列車名だけは数多存在して、訳が分からない状況になったことから、1969年3月に乱立していた列車名を整理、日光方面には 「だいや (大谷川に由来) 」 、鬼怒川方面には 「おじか (男鹿高原に由来) 」 に統一しました。また、急行時代同様に、6000系の他に5700系も充当されていました。

私が6000系の存在を知ったのは、快速急行 「おじか」 でですが、鬼怒川方面よりも日光方面の列車を好んでいたため、 「きぬ」 よりも 「けごん」 、 「おじか」 よりも 「だいや」 ということになります。なお、6000系は全車、新栃木検修区 (現、南栗橋車両管区新栃木出張所) に配置されていました。
5700系には乗ったことがあるんですが、6000系は乗ったことがありません。後進の6050系は何度かありますけど、一度は乗っておきたかったですね。まぁ、日光や鬼怒川へはどうしても特急を使っちゃいますけど、快速急行でのんびりというのも一興だったかもしれません・・・。

【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション27 「東武鉄道 1970~80」 (電気車研究会社 刊)
復刻版私鉄の車両・24 「東武鉄道」 (ネコ・パブリッシング社 刊)
日本の私鉄・10 「東武」 (保育社 刊)
ウィキペディア (東武6000系、けごん、東武日光線)





Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>