機 番:7号機
新 製:昭和23年2月29日製 造:東芝製造番号:No.30010-8新製配置:沼津機関区最終配置:広島機関区廃 車:昭和54年8月8日【改造履歴 (一部) 】昭和29年10月 6日~:新車体に載せ替え (施工は東芝)新車体時から大窓旧車体はEF13 22号機に移植【転配履歴~赤字で記しているのは貸し出し扱い】昭和24年12月 2日:浜松機関区昭和27年 3月28日:高崎第二機関区昭和31年11月15日:浜松機関区昭和32年 6月 7日:名古屋機関区昭和32年 7月10日:浜松機関区に返還昭和32年 9月 3日:静岡機関区昭和32年 9月 7日:浜松機関区に返還昭和35年 5月14日:沼津機関区昭和35年 8月24日:浜松機関区に返還昭和37年11月 6日:高崎第二機関区昭和38年 4月 2日:浜松機関区に返還昭和40年10月 2日:下関運転所昭和41年 2月20日:広島運転所昭和41年 3月19日:下関運転所に返還昭和50年 2月13日:広島機関区
「ザ・ゴハチ」 も6回目になりますが、 “006” とくれば、6号機になるはずなんですけど、生憎、6号機の画像は手元に無いので、やむなく7号機に飛びます。6号機の画像が入手出来ればすぐさま取り上げますけど、まだ相当数の機番が入手出来ていない状況にありますので、今後もこういう現象があったりします。
1~5号機が連番で浜松に陣取っていまして、形態的にもさほどの変化は見受けられないのですが、6号機辺りから少しずつ変化が出始めるようになります。特に7号機は新車体載せ替えが比較的早かったこともあって、新車体時から大窓での出場となりました。7号機もまた、浜松を塒としていたのですが、昭和40年に転機が訪れ、下関運転所に転属となり、山陽本線を中心に活躍するようになります。
大きな改造履歴は不詳なんですが、ヒサシ (氷柱切り) を取り付けたのは、高崎第二機関区に貸し出しされることになったためだそうで、同時に汽笛覆いが取り付けられました (スノープロウ台座は、旧車体時に高崎二区配属時に取り付けられた模様) 。
昭和41年2月に一時期、広島運転所に貸し出し扱いになりますが、その約10年後に正式に広島機関区に配属となり、ここが終の棲家となります。広島機関区配置後はメンテナンスを広島工場が受け持つことになりますが、広島工場では独自の改造メニューが行われていて、その出で立ちには賛否がありました。左右一体型ヒサシ (もはね用語で “一文字眉毛” ) やPS22型パンタグラフの換装はその最たるもので、俗に 「広島型」 とも呼ばれました。
当時の広島機関区の運用には、ブルートレイン牽引仕業もあり、時期は不同ですが 「あかつき」 「明星」 「彗星」 を牽引していました。
昭和49年3月17日
山陽本線土山駅で
(画像提供:い様)
寝台特急 「明星」
昭和53年5月
東海道本線大阪駅
(画像提供:ヒ様)