JR東日本のEV-E301系、HB-E300形、JR貨物のHD300形機関車など、日本の鉄道はハイブリッド車両が続々と増えています。近々お目見えするJR東日本のクルーズトレイン 「四季島」 とJR西日本のクルーズトレイン 「瑞風」 もハイブリッドを採用するということで、ハイブリッド車両の需要は益々高まることは必至です。しかし、歴史を紐解けば、60年以上も前に実はハイブリッド車両は登場していたのであります。構造こそ違えど、電気と内燃の2つの動力を使って車両を動かすシステムはまさにハイブリッドそのもの。それが 「電気式」 と呼ばれる内燃機関で、画像のDF50形ディーゼル機関車はその代表格であります。
日本の鉄道は石炭と水で作られた蒸気で動かす蒸気動力から始まって、次に架線から電気を取り入れてモーターを動かす電気動力が開発されて、しばらくはこの二本立てで推移していきますが、昭和に入って、エンジンを回して車両を動かす内燃機関が開発されるようになりました。重油で回す車両もありましたが、コスト的にも安価で済む軽油を用いたディーゼル機関が主流となりました。動力伝達機構は、自動車で言うところのマニュアルトランスミッションと同じ機械式から始まりましたが、総括制御方式がまだ開発されていない時代、連結運転をする際は、各車両に1人ずつ運転士が乗り込み、二人が合図とともにギアを変速をする作業をしなければならないことから、どうしても長編成の運転には向きませんでした。
昭和12年に初めて編成を前提とした気動車、キハ43000形が登場します。メーカーと国鉄 (当時は鉄道省) が共同で開発した床下搭載型のディーゼルエンジンに、150kwの発電機を組み合わせ、その電力でモーターを駆動して車両を動かす 「電気式」 を初めて採用した車両でもありました。しかし、戦局の悪化とともに、軽油の入手が困難になり、営業運転に用いられることはありませんでした。同じ時期に液体変速機 (自動車でいうところのオートマチックトランスミッション) も輸入によって開発が進められましたが、やはり燃料の問題から、しばらく開発は頓挫します。
戦後になって、内燃動車の開発が本格的に再開され、昭和27年には電気式のキハ44000形が、翌28年には液体式のキハ44500形がそれぞれ登場します。まだ電気式か液体式かハッキリと定まっていなかったこともあって、 「どっちにする?」 的な論争が繰り広げられていたのだと思いますが、コスト的な問題と、最終的には長編成を組むのが前提とされていたので、そうなると液体式の方が有利であると判断され、内燃動車については液体式を採用することになり、電気式で登場した車両も後に液体式に改造されて、これ以降、日本の内燃動車において電気式は登場していません (当然、ハイブリッド車は除く) 。
一方、ディーゼル機関車ですが、戦前でも試作機が数両登場しましたが、本格的な量産には至らず、本腰入れて開発に取り組むのは戦後になってからです。内燃動車同様に、液体式か電気式かで迷ったのだと思いますが、液体式は世界的に見ても開発の途上で、最初に登場したのはアメリカでも量産体制に入って実績のある電気式の方でした。国鉄では動力近代化の風も手伝って、多くのメーカーがこぞってディーゼル機関車を開発していました。それを国鉄に納入して “モニター調査” を行い、その結果、日本初の本格的な本線用ディーゼル機関車であるDD50形が昭和28年に登場しました。DD50は1両を背中合わせにした2両連結の機関車で、スイスのスルザー社と日本の三菱重工との技術提携で製作したエンジンを搭載し、一応、単機でも使用出来ますが、単機だと非力でしかも片運転台のために効率が悪いので、専ら重連使用を前提としていました。重連だとD52並みのパワーは発揮するのですが、モーターの出力は2両で1,040kwしかありませんでした。
そんな折、ドイツのMAN社が川崎車輌 (現在の川崎重工) と手を組み、船用エンジンをたたき台にして鉄道用に改良したエンジンを搭載した試作機、DF40を登場させて国鉄に納入します。これが意外に好成績を収めたことから、量産することになり、その結果登場したのがDF50形です。
DF50は、搭載するエンジンの関係から、三菱+スルザー社製エンジンを搭載してるのが0番台、川崎・日立+MAN社製エンジンを搭載しているのが500番台としました。時に昭和31年のこと (500番台は昭和33年に登場) 。
当時の電気式の発電機は、ブラシと整流子を持つ直流機で、モーターも直流です。エンジンの速度と発電機がもたらす界磁の調整で、モーターにかかる電圧を調整して速度調整を可能にしています。発電機とモーターは直結され、高速域のみモーターの界磁を弱める制御を行っていました。DF50もこのシステムを採用しており、エンジンのパワーは0番台が780kw (1060PS) で、500番台は882kw (1200PS) で500番台の方が上回っています。発電機の出力は700kw、モーターの出力は105kw×6台 (いずれも連続定格) になります。このパワーは、C58を上回るスペックで、非電化の亜幹線に投入されました。
このまま量産といきたいところだったのですが、国鉄としてはD51やD52が主力で活躍する幹線にも投入したく、D51やD52と比較した場合、どうしても非力は否めませんでした。加えて発電機やモーターなど、電気式動車には欠かせない電気関係のパーツが当時はもの凄くバカ高で、D51やD52を置き換えるまでにはいきませんでした。同じ時期に登場した液体式の入換用ディーゼル機関車、DD13が良い感じだったことから、DD13に搭載していたDMF31型エンジンをディチューンしたハイスペックのエンジン (DMF61型) を開発し、それに液体変速機を組み合わせたDD51を本線用の本命として量産することになり、そのDD51も期待以上の成績を収めたことから、ディーゼル機関車でも液体式を本格採用するに至り、内燃動車同様に電気式ディーゼル機関車もまた、一旦、開発は凍結することになります。
それでもDF50は、0番台が65両、500番台が73両、合計138両が量産され、北海道を除く本州、四国、九州で活躍しました。ただ、東日本では馴染みが薄く、北限は羽越本線かなと思われます。主な活躍路線は、北陸本線、紀勢本線、山陰本線、予讃本線、土讃本線、日豊本線といったところで、紀勢本線では 「紀伊」 、日豊本線では 「富士」 「彗星」 といった寝台特急の牽引にも使用されて、全盛期を迎えます。因みに投入線区と寝台特急の牽引は、過去現在問わず並べており、これらの線区に同時に投入されていたわけではないので悪しからず。
DD51やDF50といった機関車が蒸気機関車の代わりに活用され始めた頃、皮肉なことに、幹線や亜幹線は次々と電化されて電気機関車が入線したり、客車列車は動力分散化の煽りを受けて次々に姿を消していきました。DF50は昭和50年代に入ると、老朽化の兆しが見え始め、晩年は紀勢本線、日豊本線、予讃本線、土讃本線でしか見られなくなり、紀勢本線はDD51に置き換えられ、日豊本線は全線で電化が完成し、最後は四国に残るのみとなりました。それも昭和60年に全ての運用を終えて、DF50は形式消滅します。
民営化後、JR貨物では老朽化したDD51の置き換え機を検討するようになります。国鉄時代は 「動力近代化」 の名目の元、メーカーとの協力関係もあって、開発費用は比較的自由に組めましたが、民営化となれば、収益重視となりますので、その開発費用も抑制されます。しかし、時代は高速化と貨物列車の輸送力増強の波もあって、DD51では対応しきれなくなった背景もあるので、新しいディーゼル機関車の開発が検討されます。この時期になると、昭和20年代や30年代と比べても技術的に進歩もしていることから、一旦は頓挫した電気式の開発に再び着手することになりました。こうして登場したのが36年ぶりの新形電気式ディーゼル機関車、DF200です。これがたたき台となって、電気式を更に発展させたハイブリッド車両が開発されるわけですが、DD50やDF50はその基礎となった機関車です。
画像の57号機は、0番台ですのでスルザー社製エンジンを搭載しています。
撮影は昭和52年2月ということですが、全体的に綺麗な車両ですので、全検を出たばかりでしょうか。撮影場所は尼崎駅構内みたいなので、おそらく鷹取工場で全検を受けて、試運転で尼崎まで来たのかなと思います。
そしてこの2ヶ月後の昭和52年4月、DF50 59とともに和歌山植樹祭におけるお召し列車牽引機に抜擢されて、4月16日に津-那智間、4月17日に串本-白浜間、4月18日に紀伊田辺-和歌山間をそれぞれ牽引しました。その時の塒は亀山機関区だったのですが、撮影時も亀山所属だったのでしょか? となると、何故尼崎なのか? 亀山だったら名古屋工場の方が近いのに・・って思うのは素人の発想。どうも、名古屋工場では機関車の修繕は行われていなかったみたいで、そうなると、鷹取まで回送したということになりましょうか。
現在、DF50は1号機、4号機、18号機が保存されていますが、18号機はD51 2号機とともに長年住み慣れた大阪・交通科学博物館を離れて岡山の津山まなび鉄道館に移りました。京都鉄博には収蔵されなかったんです。可哀想に・・・。一方、4号機が大阪 (東淀川区の菅原天満宮公園) に保存されているとは知りませんでした。500番台は全て解体されて現存しません。
今度、DF50の保存機を見た時、 「これがハイブリッドの元祖か・・・」 と思いを馳せてみては如何でしょうか?
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.690、891
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション・32 「ディーゼル機関車 1950~70」
(いずれも電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.245、657 (交友社 刊)
ウィキペディア (国鉄DF50形ディーゼル機関車、国鉄鷹取工場、JR東海名古屋工場)