定点撮影の第三弾は、これは比較的お馴染みの光景と言えるかと思います。この道を路面電車が走ってたことを知っている人はどれ位いるでしょうか?
「さようなら」 の装飾も哀しげな電車は阪神北大阪線です。 「さようなら」 の装飾が施されているということは、1975年に撮影されたものと思われます (国道線、北大阪線、甲子園線の廃止は1975年5月6日) 。
場所についてですが、ここは大阪市北区中津。画像右端には阪急の中津駅があります。そして阪神北大阪線にもその傍らに中津電停があり、阪急線と一緒に国鉄梅田貨物線をオーバークロスしていました。
そして現在の中津です。
中津の “ランドマーク (?) ” 的建物の、中津ビルは現在も健在ですが、今も昔も 「がんこ寿司」 の看板はある種の目印になっているんですね。でもここが 「がんこ寿司」 の本社屋ではないみたいです。
鉄道とはかけ離れてしまいますが、 「がんこ寿司」 は1963年に大阪・十三で開業したのが最初で、だから 「Before」 写真に 「十三名物」 って書かれているんですね。
この寿司屋のエポックメイキングな出来事として、日本で初めて寿司における 「時価」 を撤廃した店というのがあります。寿司屋ではネタの仕入れ時期によって、そのネタの値段を変えていく 「時価」 制度が長らく続いていて常識と化していましたが、 「がんこ寿司」 は、通年でそのネタの価格を統一しまして、ある種の革命をもたらしたのです。 「がんこ寿司」 名物である看板の顔は創業者の小嶋氏の似顔絵なんだとか。そういえば、もう一つの大阪名物である 「串カツ」 の元祖と言われている新世界の 「だるま」 のあの看板も店主氏の似顔絵をデフォルメしたものだそうですね。
この 「中津」 交差点には横断歩道がなく (中津5丁目から6丁目への横断は出来るが、5丁目から4丁目への横断は出来ず、一旦、国道を下りて潜るようにして4丁目へと行くことが出来る) 、完全な 「定点撮影」 は出来なかったのですが、写す角度があの道路事情とあらば、どうしても定まらなかったです。
それと、電車に準えてバスを入れた写真を撮りたかったのですが、なかなかバスは来ず、暑さに負けて、この1枚だけ撮ってそそくさと退散してしまいました。情けな・・・。
「十三名物・がんこ寿司」 って食べたこと無いんですが、大阪っ子の評価を是非聞かせて下さい。
【 「Before」 写真提供:ウ様】