昭和29年、旧形電機の最後を飾るに相応しい、型破りなEH10形が登場しました。
関ヶ原を1000t近い貨物列車を牽くには、やはりEF15ではパワー不足が懸念されたため、かといって、EF15重連だとそれはそれで勿体ないし、ならば2車体連結でそれぞれにモーターを付けようという発想が事の発端で、東海道本線と山陽本線でしか使わないことを念頭に入れて設計されました。
登場当時は、それこそ 「貨物機の次世代スターだっ!」 と、鳴り物入りでデビューしたのですが、昭和30年代に入って、1両でEH10並みの性能を誇るEF60が登場すると、一気にスターの座から転落、車体が長い分、 「でくの坊」 扱いとなってしまうのです。昭和40年代に入ると、とどめとばかりに最強電機EF66が登場して、EH10の居場所は窓際になってしまいました。しかし、前述のように、EH10は東海道本線と山陽本線岡山以東、そして宇野線でしか使わないことを前提として設計したため、他線での使用が出来ず、また、SLのように従台車を付けて軸重を軽くすることもせず ( “出来ず” と言った方が正解か) 、さりとて車齢10年ちょっとだとまだまだ働き盛りで、廃車にするのは勿体ないということで、EF60やEF65、EF66の陰に隠れて貨物列車を黙々と牽引していました。
昭和50年代に入り、ようやく (?) 老朽化の兆しが見え始め、加えて国鉄の貨物輸送はトラック輸送の普及とサービスレベルの低下で年々減る一方、EF13やEF15といった旧形貨物機関車は軒並み引退に追い込まれていき、EH10もその中に入っていました。その頃になると、貨物列車の牽引の他に、車両メーカーで完成したピカピカの新製車両をそれぞれの鉄道会社に輸送する、いわゆる 「甲種鉄道車両輸送」 の牽引にも駆り出されます。画像はその中の1枚になります。
牽引される車両は国鉄の781系電車。そう、北海道用の特急車両ですね。
781系は、冬季の北海道で悲鳴を上げていた485系1500番台に代わる特急列車用の車両で、昭和53年に試作車が完成して、特急 「いしかり」 に実戦投入して数々の試験を繰り返し行っていました。その結果をフィードバックした量産車が昭和55年から製造が開始され、函館本線の 「いしかり」 の他、室蘭本線や千歳線の電化完成を機に登場することになっていた特急列車 ( 「ライラック」 号) への投入も合わせて行うべく、量産車が次々に落成して北海道へと送られていきました。
関西は主に川崎重工と日立製作所で製造されていましたが、時折、EH10が牽引することがありました。EH10の出番は吹田操車場までで、吹田からはEF81にバトンタッチして、日本海縦貫線経由で北海道へと向かっていました。
甲種輸送の場合、国鉄では多少の融通が利いたのかもしれませんが、私鉄車両の場合はその鉄道会社に送り込まれるまで、あくまでも 「商品」 扱いになります。内容物は 「鉄道車両」 ということになりますが、国鉄内でも北海道なら北海道に辿り着くまで 「商品」 になるんでしょうね。だから、真夏の甲種輸送はシャレにならなかったのだとか。つまり、 「商品」 ですので、空調は入れられません。固定窓ですので、窓は開けられません。仮に開閉出来ても 「商品」 だから、勝手に窓は開けられません。車内はサウナ状態となり、輸送に帯同する係員は文字通り、汗だくになるのです。勿論、途中での休憩もあるのでしょうけど、トイレも使えないから、飲食も制限されます。沿線ではヲタが 「珍しい」 とばかりに撮りまくりますが、一方で、輸送する側は過酷な数日を過ごすことになります。
EH10も781系も鉄路にはいません。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.234 (交友社 刊)
鉄道ピクトリアル No.919 (電気車研究会社 刊)
国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)