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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (330)

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日本の電車特急史に燦然と輝く伝説の名車、モハ20系電車。

日本の鉄道において、電車による長距離高速輸送は長年の懸案事項だったわけですが、明治の鉄道創業期から旅客にしても貨物にしても、列車といえば機関車が牽引するものと決めつけられていたため、電車の出る幕は無かったといっても過言ではない状況がずぅ~っと続いていました。戦前に計画された 「弾丸列車構想」 も、基本的には機関車が牽引するのが前提になっていたのだから、やはりお堅い役人は、電車に対する偏見というのが根強かったんだなというのが判るような気がします。

そんな状況に風穴を開けたのが、昭和25年から運転を開始したモハ80系電車でした。
制御電動車を設定せず、電動車は中間車のみに特化して製造コストを削減、乗り心地を客車並みにしたその出で立ちは、あらゆる部分で一種の革命でした。80系の成功によって、電車でも長距離運転は可能だというのを示したもので、次なる目標は 「如何に速く走らせられるか」 になります。時あたかも新技術がどんどんと開発されて実用化されていきましたが、鉄道の世界においてある意味で革命的だったのが 「カルダン駆動」 の実用化でしょうか。私鉄では昭和20年代の後半からカルダン駆動を採用した車両が矢継ぎ早に登場していて、これらは一括りに 「高性能電車」 と呼ばれていました。国鉄でもカルダン駆動を採用することが決定して、昭和32年にモハ90系が登場します。国鉄における 「高性能電車」 の元祖で、それまで1両に詰め込んだ動力装置を2両に分散して搭載する 「MM’ユニット」 の採用や両開き扉の採用もモハ90系が最初になります。
このモハ90系を使って同年10月、高速試験も行われ、時速135kmを叩き出しました。その前月には小田急3000形 (SE車) が国鉄線上で高速試験を実施、時速145kmを叩き出しています。これで 「客車列車よりも速く、客車列車よりも長距離を走らせることが出来る」 と、電車の優位性が高められたことが確認され、これをたたき台に、特急用と準急用の車両が開発されるわけですが、翌昭和33年に国鉄史上初の特急電車用車両、モハ20系と準急用車両のモハ91系が相次いで登場しました。

世の中は高度経済成長期の真っ只中にあり、鉄道の世界でも新時代の車両が国鉄、私鉄問わず登場した時期になりますが、国鉄においてずっと旅客輸送の基盤だった客車の新造は10系や20系といった優等列車専用の車両だけで、80系やモハ90系の登場によって、新形式といえば電車ばかりが目立つようになりました。非電化区間では、諸外国に比べて遅れが生じていたディーゼル機関による車両がようやく出始めていた時期とリンクします。液体変速機の開発とDMH17形エンジンの開発によって長編成が組めることになり、内燃動車にとって液体変速機とDMH17形エンジンはまさに 「三種の神器」 ならぬ、 「二種の神器」 となるのです。この 「二種の神器」 をフルに活用して登場したのがキハ45000形に代表されるキハ10系グループとなります。

なお、昭和34年に形式称号が改正され、モハ90系は101系に、モハ20系は151系に、モハ91系は153系にとそれぞれ改称されています。気動車は昭和32年にいち早く形式称号が改正されて、キハ45000形はキハ17形となっています。

言うまでもなく、モハ20系を使用した最初の特急は、一般による公募によって 「こだま」 と命名されて、昭和33年11月に東京-大阪間で運転を開始します。所要時間は6時間50分。昭和5年の超特急 「燕」 が東京-大阪間は9時間でした (後に8時間運転になる) 。そして戦後に復活した特急 「つばめ」 は昭和31年11月の段階で7時間30分運転だったことを考えると、電車のスピードは破格だったのが解ります。大阪への日帰りも可能となり、特に出張のサラリーマンに大いに受けました。これが151系が 「ビジネス特急」 と呼ばれる所以です。
こうなると客車は歯が立たず、 「つばめ」 と 「はと」 は昭和35年に電車化されまして、東京-大阪間における昼行の客車特急は姿を消すことになります。

80系で種をまいた電車による長距離高速輸送は、101系で芽が出て、151系や153系で花が咲き、そしていよいよ時速200キロを目指して80系や小田急3000形、101系、151系で培ったノウハウを生かし、日々の研究や開発が、昭和39年の東海道新幹線開業で結実するわけですが、80系を除けばそれが全て昭和30年代に行われているのだから、 「ALWAYS」 の時代は誰もが自信に満ち溢れている時代だったんだなとあらためて感じています。

その一方で、よくよく考えてみると、 「こだま」 という愛称はあまり陽の目を見ない脇役的なイメージは否めないことが判ります。デビュー当初こそ、利用者や鉄道マニアの羨望を一身に集めましたが、前述の 「つばめ」 と 「はと」 が電車化されると、主役は 「つばめ」 「はと」 となり、他にも 「富士」 と 「おおとり」 がありましたが、センターは 「つばめ」 が長いこと務めることになります。昭和39年の東海道新幹線開業時も愛称は一般公募で決められましたが、速達タイプの超特急が 「ひかり」 、そして各駅停車タイプの特急が 「こだま」 となりました。以来、 「こだま」 は 「ひかり」 あるいは 「のぞみ」 の影に隠れた目立たない列車になっています。しかし、小田原や三島といった遠距離通勤をされるビジネスマンにとって 「こだま」 は無くてはならない存在だし、一部の旅行者にも東京-大阪間をゆっくり行きたいということで、敢えて 「こだま」 を選ぶ傾向もあると聞きますので、 「こだま」 の需要は決して無くなってはいないんですよね。そうやって考えると、 「こだま」 は誕生からまもなく60年になろうとしていますが、ずっと 「ビジネス特急」 の役目を担っているんだなって思います。

「こだま」 に乾杯っ!

【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.858 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.281 (交友社 刊)

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