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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (248)

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昭和59年2月のダイヤ改正は、貨物列車の運用に大鉈がが振られた歴史的な改正だったというのは、当コーナーでも度々お伝えしていますが、もう一つ、ヲタにとっては忘れられない改正でもありました。それはEF58の事実上の引退。各地区で荷物列車を中心に運用されていたEF58は、老朽化も手伝って59.2改正以降、段階的に運用から外され、廃車になっていきますが、そのバトンを引き継いだのは誰もが予想しなかったEF62でした。
 
ご存じのようにEF62は、信越本線を中心に運用されていましたが、信越本線における客車列車の減少に加えて、同改正で碓氷峠区間を含む信越本線安中-小諸間で貨物列車が全廃されたことによって、EF62に大量の余剰が出ることになりました。しかし、登場から22年しか経っていない機関車ですので、ただ単に廃車にするのは勿体ないということで、EF58の代わりに東海道・山陽本線での荷物列車牽引に抜擢されたのです。
 
東京地区では上野駅に急行 「越前」 だか 「能登」 だかを牽引してやって来たので、比較的馴染みの深い機関車ではありましたが、驚いたのは西日本地区のヲタでしょうね。 「まさか、EF62が・・・」 という驚愕の表情で見ていたに違いありません。
画像は昭和59年10月に撮影されたものだそうなので、登場から半年強が過ぎた辺りの画像になりますが、前述のように改正で一気に置き換えるのではなくて、徐々に段階的に置き換えていきました。そのため、東京、浜松、米原、宮原などに配属されていたEF58は、一部を除いて一旦、下関に集められて置き換えが始まり、3月末までにEF62との置き換えは完了し、これも一部のEF58は元の機関区に戻れたものもありましたが、それ以外は全て廃車となってしまいました。
 
こうして、東海道・山陽本線という檜舞台で活躍が期待されたEF62ですが、栄華は長くは続きませんでした。昭和61年11月のダイヤ改正で、荷物列車が一部を除いて全廃されてしまったのです。こうなると、EF62はもはや為す術がなく、下関配属車は全廃されてしまいました。そういう意味でも、この2年弱の活躍を捉えた姿は逆に貴重と言えるかもしれませんね。
そして早期廃車になった理由がもう一つあります。それは 「EF65やEF66のフォロワーになれなかったこと」
製造後22年とはいえ、まだまだ働き盛りのEF62ですが、本業は碓氷峠を含む信越本線の列車を牽引することにありました。ですから、山登りに相応しい仕様だったのですが、これが平坦区間で常に高速走行を求められている東海道・山陽本線にあって、EF62は歓迎される機関車でなかったという話を聞いたことがあります。つまり、重いリュックを背負ったクライマーに高速でマラソンをやれというようなもの。トライアスロンやウルトラマラソンよりも過酷だったのでしょう。もし軽量なスタイルであれば、EF65やEF66とともに東海道・山陽本線で客車列車や貨物列車の牽引に・・という使い方もありだったのかもしれませんが、如何せん、そういう特殊な機関車は日本の二大幹線には馴染めなかったという見方も出来ます。「セノハチの補機としては・・?」 も選択肢としては浮上していたのでしょうけど、セノハチにはEF67がいましたしね。若干数が残っていたEF61 200番代を置き換えるにしても数が知れているし、やっぱりそれも当てはまりませんでした。
 
話題作りには大きく貢献したのですが、実際の使用方法となると、やはり東海道・山陽本線では荷物列車の牽引定数ではなくて、EF62自身にとっては荷が重かったといえるでしょうね。
 
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
国鉄機関車 激動11年間の記録
EF15×EF58 国鉄直流電機のスタンダード
(いずれもイカロス出版社 刊)

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