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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (220)

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常磐線の急行「ときわ」です。
“特急が特急らしかった”頃、急行列車のアイデンティティはかなり重要で、列車によってはかなりの本数が運行されてたのもあります。上野駅では画像の 「ときわ」 や、上越線の 「佐渡」、東北線の 「まつしま」辺りが双璧でしたか。 「ときわ」 「佐渡」 「まつしま」 が運転されている区間ではそれぞれ 「ひたち」 「とき」 「ひばり」 といったL特急がひしめき合うようにして走っていましたが、新幹線が無い時代、上野-仙台や上野-新潟の需要は引きも切らなかったことが裏付けられます。
 
昭和30年、上野-水戸間の気動車快速列車としてスタートした 「ときわ」 ですが、昭和33年6月に準急に格上げの上、運転区間を平 (現、いわき) まで延長・増発されました。前回の呉線ではありませんが、常磐線は海沿いを走るため、比較的平坦な区間が多く、仙台や青森など、東北方面への列車は常磐線経由がメインで、東北初の特急である 「はつかり」 もスタート時は常磐線経由でした。しかし、この 「ときわ」 は、常磐線沿線をターゲットにした初めての優等列車で、以後、増発を重ねて常磐線を代表する列車に成長していくのであります。
 
昭和37年に初の交直流急行形として登場した451系が最初に配置されたのは勝田電車区 (水カツ~現在のJR東日本勝田車両センター) で、すぐに 「ときわ」 に使用・・といきたいところでしたが、451系最初の使用列車は、上野-仙台間の 「みやぎの」 でした。当時の運用は上野を7時45分に出発して仙台着が13時03分、上りが仙台発15時50分で上野着が21時15分というものでしたが、上野到着後、勝田まで空気だけを乗せるのは (つまり、回送) 勿体ないということで、間合い運用が組まれ、上野21時35分発の 「ときわ8号」 として日立まで向かいました。これが電車による 「ときわ」 の歴史のスタートになります (上野への回送は早朝だったため、間合い運用は実施されず) 。
「ときわ」 の本格的な電車化は昭和38年5月の平電化以降で、全車座席指定の準急 「ひたち」 と併せて6.5往復が451系電車に置き変わりました。なお、国鉄内における準急は、昭和41年の制度改正で運転区間が100kmを越える列車については全て急行となり、 「ときわ」 「ひたち」 は急行列車に昇格します。また、その翌年には 「ひたち」 が 「ときわ」 に統合される形で消滅し、 「ひたち」 の列車名は一旦、消滅することになります。と同時に、一部列車は東京駅まで乗り入れるようになりました。
 
昭和44年10月、上野-平間に常磐線内のみの特急列車が運転を開始し、この列車に一旦消滅していた 「ひたち」 の名が与えられます。これが今に続く 「ひたち」 の始まりです。当時はキハ81系による気動車列車で、オンシーズンのみに運転される季節列車でした (定期列車に昇格したのは昭和45年10月のこと) 。
昭和47年からは 「ひたち」 は485系使用の電車特急となり、さらに5往復に増発してこの時から制定したL特急の仲間入りを果たします。 「ひたち」 はダイヤ改正の度に増発を繰り返し、逆に 「ときわ」 はダイヤ改正の度に特急に格上げして 「ひたち」 となり、いつしか常磐線の代表列車は 「ときわ」 から 「ひたち」 へとシフトするようになります。ちょうどその時期は 「ときわ」 と同様に、庶民の味方であった急行が続々と特急に格上げされる形で次第に存在が薄くなりつつある時期と重なります。冒頭の 「まつしま」 や 「佐渡」 もダイ改の度に 「ひばり」 や 「とき」 に吸収される形で1往復、また1往復と減便されていきました。
 
そして昭和60年3月、 「ときわ」 は 「ひたち」 に吸収されて姿を消すことになりました。昭和30年に快速列車で運転を開始して以来、30年間の歴史に幕を閉じることになります。画像はその模様を捉えたものと思われますが、運転最終日には画像のようなヘッドマークが付けられました。しかし、よくよく考えてみると、常磐線の電車急行は間合い運用時代の 「ときわ」 以外はヘッドマークが掲出されず、 「ときわ」 だか 「そうま」 だか 「もりおか」 だかの区別が付かない時代が 「ときわ」 の廃止まで続きました。その結果、 「ときわ」 は最初と最後だけヘッドマークが付けられたことになります。また、常磐線の電車急行にはビュッフェも連結されないことから、如何にビジネスライクな急行だったのかがお解りいただけるかと思います。 「ときわ」 の廃止で余剰となった勝田電車区の455系 (451系、453系電車も含む) は普通列車に充当されたりして余生を過ごすことになります。
 
それから30年、いよいよ 「ときわ」 が復活します。
平成27年3月に開業する上野東京ラインで 「スーパーひたち」 「フレッシュひたち」 の愛称が消え、速達列車が 「ひたち」 、そして停車タイプの列車に 「ときわ」 の愛称が付されることになりました。さらに昭和48年以来途絶えていた 「ひたち」 の東京駅乗り入れも復活し、ほぼ全列車が品川まで足を延ばすことも決定しています。同時に 「ときわ」 も東京駅を介して品川まで乗り入れることが決定しており、定期列車としては42年ぶりに交直両用特急車両が東京駅にやって来ることになります。583系が充当された 「シュプール蔵王」 が品川発着だったのは知られていますが、定期列車で交直両用特急車両が品川駅に来るのは初めてでしょうか?
 
前述のように、 「ときわ」 の愛称が最初に付けられたのは昭和30年 (快速で後に準急) 、廃止されたのが昭和60年 (急行) 、そして復活が平成27年 (特急) と、 「ときわ」 は30年ごとに何かしらのアクションがあるみたいですね。次のアクションは30年後の平成57年になりましょうか (もっとも、元号は変わっていると思いますが) 。その時は新幹線の愛称になっているかな・・・?
 
【画像提供】
タ様
【参考文献】
鉄道ピクトリアル各号
No.758 (2005年3月号)
No.788 (2007年4月号)
No.886 (2014年2月号)
(いずれも電気車研究会社 刊)
ウィキペディア (ひたち、準急列車)
 
 
 
 

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