20系客車を使った寝台特急 「日本海」 が大阪駅に到着しています。
ホームを見ると、何やら人だかりが出来ています。撮影日が昭和50年3月9日ということですが、その日を考えると、人だかりが出来ても不思議ではありません。この日の大阪駅や岡山駅などにはかなりのヲタが出没したことでしょう。
山陽新幹線全線開通を翌日に控えたこの日は、廃止になる列車や車両が置き変わる列車などを撮ろうと、こういった風景が点在したかと思いますが、こうやって見てみると、いつの時代も変わらないんだなって実感します。ただ、あの頃は世話になっていないの 「ありがとうっ!」 を連呼する意味不明の 「葬式鉄」 というのはありませんでしたので、鉄道少年たちはやって来た列車を撮ると、そそくさとその場を離れていたことでしょう。
さて、 「日本海」 です。
昭和43年の運転開始当初から20系を一貫して使用してきた 「日本海」 に転機が訪れたのが50.3改正でのこと。
それまで1往復運転だった 「日本海」 はこの改正を機に2往復運転になりましたが、1往復は季節臨 (6001レ、6002レ) 扱いですので、毎日運転される列車 (4001レ、4002レ) は従来通りの1往復だけでした。しかも季節臨は寝台車両ではなく、14系座席車を使用していたので、厳密に言えば寝台特急ではないですよね。
そして、使用車両が20系から14系に置き変わったのもこの改正でのこと。つまり、ホームの人だかりは20系最終日の 「日本海」 目当てなのでしょう (勿論、他にも撮る列車や車両は数多あったかと思いますけど) 。
「日本海」 に充当されていた20系は、向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に配置されていた車両を使用していましたが、14系に置き変わってからは、管轄が九州の早岐客貨車区 (門ハイ) になり、伝説の広域運用がスタートします。
「 “日本海” は大阪と青森を結ぶ列車やろ? 何で九州の客車を使用せなあかんねん?」 と疑問に思うかもしれませんが、この改正から 「日本海」 は 「あかつき」 と共通運用が図られることになり、必然的に早岐の車両を使用することになるのです。
【運用番号:門201】早岐→ (回送) →佐世保→ (あかつき2号) →大阪→ (回送) →宮原宮原→ (回送) →大阪→ (日本海2号) →青森→ (回送) →青森運青森運→ (回送) →青森→ (日本海1号) →大阪→ (回送) →宮原宮原→ (回送) →大阪→ (あかつき1号) →長崎→ (あかつき1号) →新大阪→ (回送) →向日町向日町→ (回送) → (あかつき3号) →佐世保→ (回送) →早岐【運用番号:門附201】早岐→ (回送) →佐世保→ (あかつき1号) →新大阪→ (回送) →向日町向日町→ (回送) →新大阪→ (明星6号) →筑豊本線経由熊本→ (回送) →川尻川尻→ (回送) →熊本→ (明星3号)→筑豊本線経由大阪→ (回送) →宮原宮原→ (回送) →大阪→ (日本海2号) →青森→ (回送) 青森運青森運→ (回送) →青森→ (日本海1号) →大阪→ (回送) →宮原宮原→ (回送) →大阪→ (あかつき1号) →佐世保→ (回送) →早岐
この運用は、昭和53年当時のものですが、早岐を出て戻ってくるまでに約1週間の長期出張が連日のように繰り広げられていました。付属編成にいたっては、 「明星」 として熊本まで足を延ばしていましたが、今じゃ絶対に考えられないですよね。
画面の 「日本海」 は、殿 (しんがり) がナハネフ21になっています。窓の大きさがナハネフ23と違うのでその識別は一目瞭然なんですが、説明するまでもなく座席車だったナハフ21を寝台化させた車両です。因みにナハフ20を寝台化させたのはナハネフ20となります。
ちょうどこの頃から14系や24系、さらには24系25形といった20系に代わる次世代寝台客車が次々と登場し、そのホスピタリティの高さから続々と増備され、20系と置き換えていきます。ある車両は新設された列車に充当したり、ある車両は夜行急行の置き換えにとその転用先は様々。特に急行への転用は20系の凋落を顕著に表す出来事として特筆されます。
因みに、14系座席車を使った季節臨の 「日本海」 は、昭和51年より宮原客車区 (大ミハ~現在のJR西日本網干総合車両所宮原支所) 24系25形に置き換えられて晴れて寝台特急の一員となり、14系寝台車使用の定期便については、昭和53年に青森運転所 (盛アオ~現在のJR東日本青森車両センター) の24系24形に置き換えられました。青森への移管ということは、今度は 「ゆうづる」 とタッグを組むことになりますが、即ち、 「あかつき」 や 「明星」 との共通広域運用は3年半で終止符が打たれることになります。それでも青森→上野→青森→大阪→青森というのも広域運用であることに変わりはありません。
「日本海」 が廃止 (季節列車化) になってまもなく2年。しかし、1年以上 「日本海」 の運転実績はなく、今年3月には 「あけぼの」 の廃止 (季節列車化) も決定していますし、車両の老朽化を考えるともはや 「日本海」 の完全廃止は避けられない情勢にあります。
「ななつ星」 で話題持ちきりの日本の寝台客車ですが、一般庶民にも気軽に乗れる寝台列車の復活を出来れば願いたいです。
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
名列車列伝シリーズ 「あさかぜ &ブルトレ客車 Vol.1」 (イカロス出版社 刊)
名列車列伝シリーズ 「日本海 & 急行きたぐに+583系大全」 (イカロス出版社 刊)
列車追跡リバイバル 「青い流れ星 ブルートレイン」 (鉄道ジャーナル社 刊)
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