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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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NHKの 「こころ旅」 は、今日から静岡県。湖西市を訪れていましたけど、それで今回のネタを思いつきました。(笑)
静岡県湖西市は 「こさいし」ですが、滋賀県を走るJR湖西線は 「こせいせん」と読みます。私が幼少の頃、湖西線をずっと 「こさいせん」だと思い込んでいました。で、湖西線を 「こせいせん」 ということを知ったのは、比較的つい最近 (・・・といっても多分20年以上は経過していると思いますが) のことだったりします。

関西対北陸のルートは、長らく東海道本線→北陸本線のいわゆる 「湖東ルート」 が一般的でしたが、琵琶湖の西岸を行く方がより短く (北陸へ) 到達出来るということで、この短絡ルートを模索し始めます。折りしも、大津から琵琶湖の西岸に沿って今津まで走っていた江若鉄道がモータリゼーションの影響を受けて廃止か存続かの危機に瀕していました。読んで字の如く、近江と若狭を結ぶつもりで建設された江若鉄道ですが、今津から先は建設に着手出来ませんでした。元々、江若鉄道は将来的に国鉄に託すつもりで建設された経緯がありますが、駅を含む湖西線のルートについては、その殆どが江若鉄道を引き継いだ格好になります。もっとも、山科-近江塩津間の全線が高架+築堤ですから、江若鉄道の路盤を転用したというわけではないんですけど、地元住民に配慮して、当時の地方ローカル線としては破格の駅設置になっています。

昭和49年7月20日に湖西線が開業しまして、特急 「雷鳥」 を始めとする関西対北陸の優等列車や貨物列車は一部を除いて基本的に湖西線経由となります。そして、新快速も堅田まで運転区間が延びましたが、今津には海水浴ならぬ、湖水浴場があるので、開業が夏場ということもあって、開業したその日から近江今津まで運転されました。それ以降、平日は堅田まで、土休日は近江今津まで延長・・という図式が定着します。
画像を見ると、 「おうみいまづ」 の駅名標が見えますので、開業日そのものなんでしょうね。隣に佇む気動車は、湖西線-北陸本線の連絡列車という位置づけの列車です。当時、永原から先は交流電化でした。特急や急行は交直両用ですし、貨物列車はEF81が牽引しますので問題ありませんが、新快速用の153系や普通用の113系はどんなに頑張っても永原までしか行けません。415系のような交直両用の普通用車両は投入されず、気動車が投入されたと考えられます。

気がつけば、新快速は永原や北陸本線の田村を突破して、近江塩津、そして敦賀まで足を伸ばすようになりましたが、それを知った時は信じられませんでした。 「何で、交流電化なのに長浜だ敦賀だって走れるのさ?」 ってな感じで。そしたら、湖西線の永原-近江塩津間と北陸本線の坂田-敦賀間が直流電化に切り替わったというじゃないですか。二度ビッ栗でした。

この画像で、 「新快速が近江今津止まりだったなんて・・・」 と感じて下さい。

【画像提供】
ク様
【参考文献・引用】
キャンブックス 「関西新快速物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (江若鉄道)


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