この車もまた、 「スーパーカー」 の範疇にしていましたね。
厳密に言えばその範疇には含まれないんでしょうけど、ヨーロッパの車でデザインが浮き世離れしていれば、大排気量でなくても 「スーパーカー」 に含んでいた部分が多分にあると思います。終いには、日本車のトヨタ2000GTやフェアレディの240ZGなんかも無理矢理ねじ込んでいた媒体もありましたからね。トヨタ2000GTは解らなくもありませんが、フェアレディ240ZGはちょっと・・・ね。
さて、画像の車ですが、それでもスーパーカーブーム真っ只中の頃は、やっぱり珍しがられたのは確かなようで、同様にポルシェ924と928、あるいはランチャ・ストラトスなんかも、見れば誰もが 「おぉっ! スーパーカーッ!」 と振り返ったのではないでしょうか。
ロータス・エスプリは、 “名車” の誉れ高い、ロータス・ヨーロッパの後継車という位置づけで、1976年に発表されました。ロータス・ヨーロッパもまた、スーパーカーの定義としては些か非力でしたが、あの 「サーキットの狼」 で扱われた関係からか、スーパーカーの一員として認知されていました。
ロータスといえば、F1のコンストラクターとして確固たる地位を確立していましたけど、その一方でエランやヨーロッパといった市販車の製造・販売も手がけるようになっていました。しかし、1970年代前半に発表したエリートの販売不振を受けて、それまでのライトウェイスポーツ路線から高級スポーツ路線への転換を目指すことになります。時を同じくして、ロータスの創立者であるコーリン・チャップマンは、イタリアのデザイナーであるジウジアーロ (ジョルジェット・ジウジアーロ) と知り合い、デザイナーとして招聘します。ジウジアーロといえば、ロータス・エスプリの他にマセラティ・ボーラやBMW・M1、デロリアンDMC12などを手がけ、日本でもいすゞ117クーペやピアッツァ、スバル・アルシオーネ、トヨタ・カローラなどがよく知られています。
画像の個体は、 「turbo」 の表記がされていることから、1980年以降のターボ車であるのは間違いありませんが、バンパーの形状などから、1981年から市販された量産モデルだと思われます。ターボは1980年に発表されましたが、最初にリリースされた100台は、当時のF1ロータスチームのメインスポンサーであった、エセックス (ESSEX) カラーに塗られたらしいですが、画像の個体はエセックスカラーではありませんよね。
以降、幾多のモデルチェンジ (実際はマイナーチェンジ) を繰り返しながら、2004年までに1万台以上が生産されました。ここまで来ると珍しくも何ともありませんよね。ただ、1970年代から1980年代にかけての個体は、さすがに 「ノスタルジックカー」 の域であり、存在自体が奇跡かもしれません。
私にとってのロータス・エスプリは、範疇に入らずとも 「スーパーカー」 として扱っていたというのは先ほどもお伝えしましたが、もう一つ、イメージとして常に持っているのが、 「ボンドカー」 に採用されたこと。
「ボンドカー」 は、映画 「007」 における、ジェームス・ボンドの愛車という設定で、新作が発表される度に話題になりました。有名どころではアストンマーチ・DB5、トヨタ2000GTが挙げられます。ロータス・エスプリはそのボンドカーに2度起用されました。
1回目は1977年の 「私を愛したスパイ」 で、その時は潜水艇に変身して地対空ミサイルや魚雷なんかを装備していました。
2回目は1981年の 「ユア・アイズ・オンリー」 で、特殊装備は自爆装置ぐらい。潜水艦 (潜水艇) になったのを覚えているので、私にとってのイメージは 「私を愛したスパイ」 だったのでしょう。
真相のほどは定かではありませんが、テレビドラマ 「西部警察」 に出てくる特殊車両は、ボンドカーの影響を受けているのではないでしょうか。
コーリン・チャップマン死去後は、レースも市販車販売も低迷したロータス。そういう意味で言うと、ロータスはコーリン・チャップマンがいて初めてアイデンティティが確立された企業だったのかもしれませんね・・・。
【参考文献・引用】
ウィキペディア (ロータス、ロータス・エスプリ、ジョルジェット・ジウジアーロ、ボンドカー、007)