東日本でも西日本でも数が少なくなってきた205系。国鉄末期に103系の後継車として鳴り物入りでデビューしてから三十数年、そろそろ先が見えてきたかなという感じがします。
JR西日本の205系は昨年、阪和線から撤退して、現在は奈良線や大和路線で活躍するにとどまっていますが、国鉄時代から継承した0番代もまだ元気に運用に入っているようです。画像は、そんな関西地区0番代の貴重な国鉄時代の一コマです。
国鉄最後のダイヤ改正になった昭和61年11月の改正で、福知山線の宝塚-福知山間と山陰本線福知山-城崎間が電化され、電車が必要になりました。205系はこの名目で製造されて、明石電車区 (大アカ~現在の網干総合車両所明石支所) に配置し、捻出した103系を淀川電車区や日根野電車区、そして東日本の豊田電車区へ転配しました。205系の製造名目には、 「武蔵野線輸送力増強用」 も含まれていました。玉突きで他区所の103系も転配され、そこにいた近郊用の113系を捻出し、福知山線と山陰本線に充てました。
関西地区の205系は、山手線に投入していた仕様と些か異なります。
最大の差異点は、ATCの有無。山手線用では標準装備になっていたATC機器ですが、投入先である京阪神緩行線には必要ありませんので、最初からATCは未装備。これによって、運転室に余裕が生じたので、運転室仕切りの厚さをそれまでの130mmから80mmへと減らした上で、客室面積を拡大しました。外見上では、運行表示幕をマグサインではなくて、一般的な巻き取り式に変更しました。マグサインでは視認性に問題があったのかもしれませんが、山手線仕様では、JR以降の増備車でもマグサインを採用し続けたのに対し、中央・総武緩行線向けや京浜東北線向け、埼京線向けなどの他線区用増備車は巻き取り式を採用しました。
腹巻きの色は、スカイブルーではあるんですけど、103系や201系の青22号ではなくて、青24号を採用しています。これは関西向け205系で初めて採用されたものですが、国鉄時代においては唯一無二の存在で、現在の京浜東北・根岸用の車両 (209系やE233系) も青24号となっています。
205系はそのままJR西日本に継承されますが、JR以降の増備は無く、置き換えの本命は207系と位置づけられました。201系は両数が多いため、至極普通に見られましたが、205系は7両編成×4本しかいなかったため、なかなかお目にかかるチャンスは少なかったようです。また、スカイブルー帯の205系は東日本では見られなかったので珍しがられましたが、平成元年に京浜東北・根岸線にも205系が投入されたため、物珍しさは解消されています。でも、京浜東北・根岸線での活躍は短く、僅か6年で他線区に転配されてしまったため、再び西日本でしか見られない腹巻き色になりました。
その後は阪和線と京阪神緩行線を行ったり来たりして、阪和線の3扉車統一によって4扉車は段階的に撤退の道を歩むことになります。103系はそのまま廃車され、205系は前述のように1000番代とともに吹田総合車両所奈良支所に転属して、現在は奈良線と大和路線で見ることが出来ますが、腹巻きの色は黄緑にはならず、青をそのまま巻いています。また、おおさか東線には入らないみたいですね。
後継車両の話が聞かれないので、しばらくは奈良に居座るつもりなんでしょうけど、遅かれ早かれ大和路にも新たな風が吹くことでしょうね。
事実上、103系が消えたJR西日本にあって、貴重な国鉄車両である205系。国鉄時代の活躍は僅かでしたが、末永い活躍を期待します。
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
鉄道ぴくとリアル No.830 (電気車研究会社 刊)
ウィキペディア (国鉄205系電車、青24号)