この画像は、国鉄末期の頃、おそらく昭和59~60年頃に撮影したものと思われますが、鳴り物入りでデビューした名車の哀れさが垣間見える画像だったりします。多分、撮影場所は京都の二条駅だと思われるんですが、二条に限らず、東北本線の松島駅、北陸本線の森本駅、東海道本線の川崎駅や西小坂井駅など、廃車になった車両の一時保管場所、通称 “疎開場所” として使われていた側線が国鉄時代には彼方此方にありました。
昭和59年2月のダイヤ改正で、関西対九州の寝台特急は大幅に削減されただけでなく、 「なは」 や 「彗星」 といった向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) の581/583系 (以降、583系と括ります) を使用していた列車は、客車化あるいは列車そのものが廃止されたりして、583系使用の列車は消えることになりました。その煽りで九州内の 「有明」 や 「にちりん」 も485系に置き換わるわけですが、働き詰めの583系は疲弊しきっており、もはや他の昼行特急に使える状態では無かったのが現状。それでも、北陸方面の特急 「雷鳥」 や急行 「立山 (後に 「きたぐに」 ) 」 で辛うじて生き延びるわけですが (583系の 「雷鳥」 はその翌年のダイヤ改正で485系に置き換え) 、それだって稼働車両は限られます。
こうして、59.2改正以降、 「雷鳥」 「立山」 用を除いて使用停止となった583系は、向日町を始めとして吹田や二条などに分散して “疎開” させるわけですが、このうち48両を近郊形に改造して九州の長崎本線と佐世保線の電車化に充てる計画をブチ上げました。実際に必要になる車両は56両ですが、8両は新製することにして、713系が登場したのですが、直流車両と違って交流車両は新造費も嵩むことから、既存車両の有効利用ありきに検討して、583系の近郊形改造が決まったのです。それが715系になります。
二条に疎開していた車両の中に、715系やその後に登場した419系に改造された車が含まれているのかどうかというのはこの段階ではハッキリとしませんが、 “死に体” を晒すのが哀れなのか、特急用がローカル輸送用の近郊形に改造されるのが哀れなのか、 「昼夜問わずさんざん働かせておいて、ローカル線に転用なんて・・・」 と583系自身は嘆いたに違いありません。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.275 (交友社 刊)