房総特急もすっかり目立たなくなり、 「えっ!? 走ってるの?」 というような凋落ぶり。しかも、 「わかしお」 や 「さざなみ」 といった房総特急の “ツートップ” は、総武本線経由ではなくて京葉線経由になって久しく、さらに 「さざなみ」 に至っては、夕方から運転を始めるという、殆ど夜勤状態。アクアラインを中心とした高速道路網の発達によって、昼間は高速バスに叩きのめされてしまったので、 「 “通勤特急” なら、生き長らえられるかも」 と夕方からの運転に切り換えたのでしょう。
一方、総武本線 (東京-千葉間) には首の皮一枚で 「しおさい」 が何とか命脈を保っているに過ぎません。そりゃあ、 「成田エクスプレス」 というのが我が物顔で疾走しているのだから、無理もありません。
「さざなみ」 「わかしお」 「しおさい」 「あやめ」 の房総特急カルテットに新たな仲間が加わったのが昭和57年11月改正のこと。 「とき」 の廃止で余剰となる新潟運転所 (新ニイ~現在のJR東日本新潟車両センター) の183系1000番代を各地に転配させるのですが、転配先の一つに幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) がありました。それを利用して新たな特急を設定しました。それが 「すいごう」 です。
57.11改正まで、房総特急のフォロワーとして、特急と殆ど同区間を走る急行が設定されていましたが、その中で 「水郷」 は、両国・新宿-銚子間を成田線経由で結んでいました。その 「水郷」 を特急に格上げして、両国-銚子間を成田線経由で運転を開始したわけですが、 「内房」 や 「外房」 といった急行が廃止されるのを尻目に、唯一、生き残ったのも 「水郷」 でした。
「水郷」 改め、 「すいごう」 については、弊愚ブログでも取り上げたことがあるので、詳細についてはここでは割愛しますが、とにかく 「すいごう」 は異端児でした。
両国発着としたのは、新潟から転属してきた183系1000番代に起因します。一部車両は東京乗り入れ対策でATC機器を搭載した車両 (クハ183 1500番代)) もありましたが、大半がATC未改造で、東京地下線には乗り入れ不可という理由が多分に含まれていると思われます。急行用の165系や153系が同様の理由で東京駅に乗り入れられなかったのと一緒です。
貫通形クハ183 0番代が過半数を占める幕張電車区において、非貫通のクハ183 1000番代 (1500番代含む) も異端でしたし、何かと 「すいごう」 は異端ずくめでした。車両運用の都合上、183系のオリジナル車両も使われるようになって、ようやく東京地下駅にも乗り入れるようになった 「すいごう」 ですが、 「だったら最初からそうしろよ」 と思ったんでしょうね、きっと。
私自身も幕張の183系は、0番代がまず先に思いつくので、1000番代はイメージが湧かないのは否めません。後年、1000番代も房総の水に慣れたようですけど、そんな思惑とは裏腹に、房総特急は凋落の一途を辿ることになります。 「すいごう」 も目立たぬまま、平成16年に 「あやめ」 に統合されて廃止になってしまいます。
「すいごう」 ・・・そういえば、そんな特急、あったね・・・・。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
日本鉄道旅行歴史地図帳 第3号 「関東」 (新潮社 刊)
( 「すいごう」 についてはこちらも)