上野駅で発車を待つ、485系 「はつかり」 とEF80形電気機関車牽引の列車。
EF80ということは、常磐線の列車あるのは説明するまでもありませんが、 「はつかり」 がイラスト入りのヘッドマークを掲げていることから、昭和53年10月以降の撮影であることが判ります。では、このEF80牽引の列車は? という次の問題にさしかかります。私も当初は寝台特急 「ゆうづる」 か急行 「十和田」 の何れかかなと思っていたのですが、実はそうではありませんでした。
手がかりは、EF80牽引の列車が停まってるホーム。 「17」 と記しているので17番線ホームであるのは確かですが、 「はつかり」 が16番線なのか、18番線なのかという疑問が生じますけど、クハ481の次位がモハ485なので、 「はつかり」 が佇んでいるホームは18番線になります。つまり、画像奥が御徒町方、ホームの終端になります。
これを元に、毎度お馴染み昭和55年12月号の時刻表を紐解きますが、意外なことに、 「はつかり」 が18番線から発車するのは、15時30分発の 「はつかり11号」 しかありませんでした。
参考までに・・・
はつかり 1号 7時33分発 15番線 583系
はつかり 3号 8時33分発 16番線 485系はつかり 5号 10時03分発 16番線 583系はつかり 7号 12時33分発 14番線 583系はつかり 9号 13時33分発 14番線 485系はつかり11号 15時30分発 18番線 485系
これが昭和55年10月改正時における、 「はつかり」 の上野駅発車時刻と発車番線です。当時の 「はつかり」 は6往復あり、485系と583系が3往復ずつを担当していました。画像を見る限りでは、485系である点と、18番線に停まっている点から、 「はつかり11号」 であることが裏付けられます。
この 「はつかり11号」 は、客車特急時代、そしてキハ81系時代のスジを引き継ぐ、 「はつかり」 の中でも最速達のエリート列車で、故に 「11号」 であるにもかかわらず、 「1M」 の列車番号を持ちます。上野駅を出発すると、宇都宮、郡山、福島、仙台、一ノ関、盛岡、八戸しか停まりません。これでもマシになった方で、53.10改正以前は、郡山、一ノ関、八戸も通過していました。3駅に停まるようになった分、所要時間は53.10改正時よりも長くなりましたが、それでも上野-青森間を8時間余りで結ぶのは、エル特急化で幾分権威が下がった 「はつかり」 にとって、どうにかしてその “プライド” を堅持しようという表れなのかなという気がしないでもありません。
一方、 「はつかり」 の傍らで発車を待つEF80牽引の列車ですが、貴重となっていた客車普通列車425列車です。東北本線の名物列車 「123レ」 が53.10改正で廃止された後、高崎線の2321レ、同じく常磐線の223レとともに、上野駅に最後まで残された客車普通列車でした。
425レは、上野駅を 「はつかり11号」 よりも27分早い15時13分に出発します。223レは仙台行きですが、425レは平 (現、いわき) まで。所要時間も401系や415系といった電車列車とさほど変わりなく、 「鈍行列車」 の旅が存分に味わえました。
客車は、尾久客車区 (北オク~現在のJR東日本尾久車両センター) の43系が中心で、常磐線の列車だから、水戸客貨車区 (水ミト) の車両も加わっていたのかもしれませんね。
上越新幹線が開業した昭和57年11月改正で、 「はつかり」 は新幹線連絡特急として盛岡-青森間の列車となり、425レは223レや高崎線の2321レとともに廃止され、電車化されてしまいました。
よく 「上野駅が上野駅らしかったのは57.11 (改正) まで」という声を聞きますが、そういう人、多いんじゃないですかねぇ~。そりゃあ、JR化後も 「北斗星」 や 「カシオペア」 といった話題に事欠かない列車が走っていましたけど、57.11改正前とは比較になりません。しかも2018年は、 「北斗星」 も 「カシオペア」 もありませんし、上野発着の列車は殆どが上野からさらに南下して、品川だ、横浜だ、熱海だって向かっているんですよね。
首都圏対東北・北海道の輸送シフトは新幹線や航空機に移譲してしまっているので、やむを得ないんですけど、画像の光景は、そんな 「上野駅が上野駅らしかった」時代を見事に写した1枚のような気がします。
【画像提供】
ヤ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.782 (電気車研究会社 刊)
季刊 j train Vol.12 (イカロス出版社 刊)
国鉄監修 交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)
時刻表 1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)