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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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JNR LEGEND (580)

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うぐいす色の103系が甲種輸送されています。
よく見ると、前照灯はシールドビーム2灯の “ブタ鼻” で、乗務員ドアと乗降用ドアとの間の戸袋窓がありませんし、運転台窓が高く、その下に飾り帯が巻かれているので、ATC仕様のクハであることが判り・・・・んっ!? これ、本当に103系? 冷房が付いてないし、さらによく観察するとパンタグラフが連続して連結されています。でも、外見はどう見ても103系なんだけど・・・。

ここまで書かなくても、昭和国鉄世代の方なら甲種輸送されている電車が、103系のように見えて103系じゃないというのはおそらく判ろうかと思います。車体こそ、103系に似せていますが、下回りは旧形国電の72・73系をそのまま流用しています。つまり、この電車は72・73系の近代化改造車、いわゆる 「アコモ改造車」 です。

72・73系の 「アコモ改造車」 については、このコーナーのNo.361で取り上げていますが、もう一度お復習いしておきますと、昭和30年代から製造が始まった新性能電車が次第に増殖していくと、まだまだ働き盛りの旧形国電とはいえ、アコモデーション的に陳腐化が見え隠れするようになります。それが昭和40年代に入ればなおさら差が歴然としてきますので、内装を新性能電車に準拠した改造を昭和46年から開始しました。しかし、内装は新しくなったものの、もっと踏み込んだ改造をしよう計画され、下回りはそのままで、車体を新製して載せ替える大規模な改造を行うことなりました。手始めにモハ72537の足回りに、新製した103系風車体を載せ替えてモハ72970と改名。鶴見線に投入されました。
そしてこの結果をたたき台にして、本格的に72・73系の近代化改造を行うことになりました。

72・73系の 「アコモ改造車」 は投入路線に合わせて2タイプ製造 (改造) されました。
一つは仙石線用の車両で、画像のように車体を103系風にしたタイプ、もう一つは身延線用の車両で、115系風の車体 (塗り分けは113系風) を載せたタイプです。先発は身延線用で昭和49年度に改造されて、仙石線用は後発になります。

車体こそ103系そのものですが、当時の103系は既に新製冷房車の製造がたけなわで、あこも改造仕様車体もユニット窓を採用した新製冷房車の車体にしてあります。そしてクハは同じ時期に登場した高運転台の車体を採用しましたが、当然、ATC準備工事は施工されていません。ならば、運転台後部の戸袋窓があっても良いじゃんって思うんですが、タブレット対策でしたっけ? (それは本家の103系での話か・・)
乗降用ドアは半自動のため、手動用に取っ手が付けられています。
前述のように、下回りは種車をそのまま流用しています。台車はモハがDT17、クハがTR48を掃いています。電動発電機は新性能電車の冷房改造で余ったMH97-DM61を流用しました。パンタグラフもPS13をそのまま使っています。
引き通し管の増設により、KE76ジャンパ栓を追加していますが、在来の72・73系との混結は出来ない設計にしてあります。

塗装は、山手線でお馴染みのうぐいす色 (黄緑6号) を採用しました。
仙石線は最初、クリームと朱色の 「気動車色」 だったんですが、後にうぐいす色に塗り替えられました。一説によると、このうぐいす色の採用は 「杜の都」 に因んだとされていますが、その時に仙台が 「杜の都」 と形容されたのでしょうか? ともあれ、新型もどきの72・73系にもうぐいすが採用されました。
この仙石線用アコモ改造車は4両編成×5本が郡山工場 (現在のJR東日本郡山総合車両センター) で改造され、順次、仙石線の塒である陸前原ノ町電車区 (仙リハ~現在のJR東日本仙台車両センター宮城野派出所) に送られました。鉄道のことをよく解っていない仙石線利用者は 「仙石線にも新車が来たっぺよ!」 と小躍りだったとか。でも、鉄道マニアはすぐに 「旧形の改造だっぺ」 と見破りました。車体だけ見れば、新車と遜色ないんですけど、足回りは旧形そのままだから、吊り掛けモーターの唸り音でバレてしまったんですね。

さて画像ですが、裏面を見ると当時のデーターが記されています。
撮影日は昭和51年3月15日で、撮影場所は宇都宮駅だそうです。
編成は

クハ79607-モハ72977-モハ72978-クハ79608

 (クハ79305)        (モハ72509)    (モハ72543)   (クハ79456)
となっています。括弧内は種車です。
気になるのが、撮影場所が宇都宮駅だということ。郡山工場で改造されたなら、宇都宮へ回送する必要が無いんじゃないかって思います。大井工場 (現在のJR東日本東京総合車両センター) や大宮工場 (現在のJR東日本大宮総合車両センター) で改造されたなら、甲種輸送の途上で宇都宮に立ち寄ることも十分に考えられるんですが、どうも釈然としません。郡山で改造された後、直流区間で試運転を行ったのでしょうか?

当時は黄緑一色だったんですが、程なく、前面のみ黄色の警戒帯を巻いています。だからどちらかというと、関西線用の車両に近くなったのですが、黄色帯を入れた理由は関西線と同じ (黄緑色の車体が沿線の木々と同化する) なのかな?
そして昭和54年には、本家の103系が東京からやって来ました。
アコモ改造車を除く72・73系を置き換えるためで、京浜東北線からの転籍ですが、仙石線転属時には、黄緑には塗られず、スカイブルーをそのまま採用しました。これによって、アコモ改造車もスカイブルーに塗り替えられました。

既存の72・73系が103系によって淘汰された後も、アコモ改造車の方はそのまま残留し、103系とともに仙石線の輸送を支えましたが、いくら車体が新しくても、所詮は旧形国電ですので、遅かれ早かれ置き換えの時期は来ることになります。実際に、昭和60年3月のダイヤ改正で松戸電車区から103系が転属してきて、アコモ改造車は休車扱いとなりまして、このまま廃車になる公算の方が大きかったのですが、世の中何が起こるか分からないもの。電化工事が進んでいた川越線の区間運転 (川越-高麗川間) に使用する車両を何処から捻出しようか国鉄は議論していました。広い視野で見れば、201系や203系、あるいは205系といった次世代通勤車が登場し始め、それまで活躍していた101系や103系といった電車に余剰が発生する筈なのですが、101系は老朽化が進行していて長くは使えないこと、山手線用の103系は埼京線開業用に、常磐緩行線の103系1000番代は、地上線 (快速線) に転配するものと、奈良線や和歌山線の電化用 (105系に改造) に充てることになっていて、いずれも余剰が発生せず、川越線用にまで手が回らないことなどから、国鉄も頭を悩ませていました。無理して新車を投入したり ( “タラレバ” ですけど、もし新車を投入する案が実現していたら、201系か205系の4両編成が現れたかもしれませんね) 、3扉の近郊形車両を充てる案もあったようですが、思いついたのが 「仙石線用の旧形を改造しよう」 という大胆な奇策でした。そう、アコモ改造車は足回りは旧くても、車体はまだまだ使えます。今度は逆に足回りを新性能車と同等にして、 「103系もどき」 をまんま103系にしてしまおうというもの。これは、検査周期の見直しで台車検査が廃止になったことから、振り替え用の電動台車が余っていたことから実現したものでした。

こうして、アコモ改造車20両のうち、15両が住み慣れた仙台を離れ、大宮工場、大船工場 (後のJR東日本鎌倉総合車両センター) 、新津工場 (現在の総合車両製作所新津事業所) で分散して103系化改造工事を受けます。それで出来たのが103系3000番代だったわけですが、画像の車両は・・・

クハ79607→クハ103-3004

モハ72978→モハ103-3004
クハ79608→クモハ102-3004
(改造は大船工場)
に生まれ変わりました。
川越線の区間運転用は当初、3両編成を予定しており、モハ72の奇数号車 (モハ72971、973、975、977、979) は編成から外されて仙台に残留しました。しかし、そのモハ72も103系化改造されることになり、さらに電装解除されてサハ103 (3001~3005) となって豊田電車区 (西トタ~現在のJR東日本豊田車両センター) に配置、青梅線の車両に組み込まれましたが、民営化後の平成8年に川越電車区に転属して3000番代に組み込まれました。これは、八高線電化に際して、八高線と川越線の直通運転が実施されることになり、八高線の電車に合わせて4両化されたためです。

103系3000番代はその後も走り続け、平成17年に引退して廃車となります。3004の編成はいち早く、平成15年に運用を離脱して廃車の運命を辿ります。種車のさらに種車が昭和28~31年の製造だったことを考えると、実に50年間も走り続けたことになります。
アコモ改造車は結局、仙石線と身延線にしか投入されず、身延線用は車体が新しいにもかかわらず、113系や115系に編入されることなく廃車されます。まぁ、車体新造費を含む改造費が思いの外、嵩んだのではないかと考えられますが、国鉄のアコモ改造はそれで打ち止めになってしまいました。民営化後は普通に新造することで落ち着き、例えば103系の足回りにE231系の車体を・・・という改造方法はされていません。意味が無いですからね。

これもまた、国鉄時代に存在した個性豊かな脇役でした。

【画像提供】
撮影者:エハ様
提供者:フ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.938 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.541 (交友社 刊)
季刊 j train Vol.12 (イカロス出版社 刊)
キャンブックス 「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (郡山総合車両センター、総合車両製作所新津事業所など)










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