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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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1988年11月30日、 “卒業”

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今からちょうど30年前の1988年11月30日、この日、私はもの凄くブチ切れをしました。普段は温厚で 「怒る」 ということを知らないもはねがブチ切れました。
友人に宥め賺されてどうにか怒りが収まった私は、その友人達と新小岩駅 (・・・だった記憶あり) に向かいました。
というのは・・・、

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「もはねを鉄道趣味に引きずり込んだ張本車」 の引き際の日だったから。
この日、中央・総武緩行線 (以下、総武線と括ります) で長年、主力として活躍してきた101系のラストランでした。この時から私は 「別に 「さよなら運転」 なんていいよ」 というクチだったんですが、友人に唆されて、半ば強引に連れて行かれました。

「嫌よ嫌よ・・」 と言うけど、いざ、ラストランを目の当たりにすると、やっぱりグッと来るものがありました。それは、営団地下鉄東西線とは比較にならないけど、総武線の101系も随分とお世話になったし、その老優が消えるのはやはり一抹の寂しさを感じましたし、 「有終の美」 をこの目でしっかりと焼き付けるのも一興かと思いました。

実際にJR東日本における101系のラストステージは南武線でしたけど、首都圏の重通勤路線で最後まで101系が残ったのは総武線でした。民営化前後から103系や201系が目立つようになりますが、黄色一色だと遠目で何系だかは判らないもの。でも、総武線の場合は、101系だと非冷房なので、それで (遠目から) 判別していました。

今だったら、どこからともなく訳の解らん輩が現れて、意味も無く 「ありがとうっ!」 って喚くんでしょうけど、この時の新小岩駅には、殆ど (撮り鉄は) いなかった記憶があります。それこそ 「ありがとうっ!」 も叫ぶ奴らもいなかったし。

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11月30日といえばもう一つ。
12月1日の京葉線新木場-南船橋間と市川塩浜-西船橋間が開業するにあたって、 「西船橋に京葉線が乗り入れるのは最後だから、撮りに行こう」 と強引に連れ込まれました。
撮影地は西船橋駅ですが、11月30日までは画像のようにスカイブルーの103系が西船橋まで乗り入れていました。でも、12月1日からはこのような光景が見られなくなるので、こっちは “付き合い” で行きました。西船橋が先だったか、新小岩が先だったかは覚えてませんけどね。

つまり、あれから30年が経つということ。そういえば、山手線の103系もこの年に身を引いたので、ある意味で首都圏の通勤路線にとっては、1988年という年は一つの時代の終わりを告げた年だったのかもしれませんね。
総武線も京葉線もその頃とは、車両面では随分と様変わりしてしまいましたが、 「きいろいでんしゃ」 が闊歩していた頃が懐かしく感じる今日この頃です。




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