ここは静岡駅か浜松駅か・・。朝日を浴びてブルートレイン 「さくら」 がラストスパートに先駆けてしばしのインターバルを取っているところかと思われます。牽引機はEF65PF。撮影時はまだ若輩機の域を脱していない雰囲気ですが、それでもヘッドマークを付けると貫禄たっぷりの風格が漂うから不思議です。
昭和52年度第一次債務で発注されたEF65PF形27両は、それまでのPFとは異なる使命で製造されました。それが 「東京駅発着の寝台特急列車牽引用」 でした。1092~1095号機が下関運転所に、1096~1116号機が東京機関区に、そして1117、1118号機が新鶴見機関区へそれぞれ配置されました。貨物用として製造された1117号機と1118号機以外は老朽化したEF65 500番代の後継機として昭和53年7月から 「さくら」 や 「富士」 といった東京駅発着のブルートレインを牽引することになりました。なお、浜松機関区や宮原機関区のEF58が牽引する 「いなば (→出雲) ・紀伊」 「銀河」 は、その対象から外れています。
さて、画像をあらためて眺めますと、ちょっと様子がヘンじゃありませんか?
よくよく見てみますと、EF65PFにスノープラウが装着されています。
皆さんが当時、雑誌や子供向けの図鑑等で見た、東海道・山陽線のブルートレインを牽引するEF65PFはスノープラウがありませんよね。でも、画像のPFにはスノープラウがしっかりと取り付けられています。 「もしかして、貨物用の機関車がイレギュラーでブルトレを牽引した?」 と連想する方もいらっしゃるでしょう。でも、機番を見ると1095号機になっており、上述のブルトレ牽引用として製造された25両のうちの1両になります。 「???」 と頭を抱える人もいるんじゃないでしょうか。
実は、これこそ超オリジナルの出で立ちで、僅かな期間しか見られなかったレアな画像だったりします。
昭和52年度第一次債務で製造された27両は、スノープラウが標準装備された状態で落成したのです。でも、それまでの500番代P形とは些かスノープラウの形状が違っていました。500番代のスノープラウは、スカートにマウントされているのに対し、1000番代のそれは後退角の大きなものを台車に取り付けられていたため、メンテナンスの際、制輪子の点検や交換の作業に支障をきたすため、それを容易にするべく、すぐに取り外してしまいました。間の抜けた印象になって、ファンからは評判が良くありませんでしたが、PS22パンタグラフとともに、スマート且つ軽快なイメージを私は持ちました。また、ホイッスルカバーも取り外されています。なお、関西ブルトレ牽引用として製造された1119~1139号機は、山陽本線での運用がメインだったため、最初からスノープラウとホイッスルカバーは未装備で落成しています。
当時、東京機関区在籍のEF65は、下関運転所で台車検査 (台検) を受けていました。
台検が告知された機関車は、営業列車で下関まで牽引した後、下関で検査を受けます。一日では作業が完了しないため、この間、下関の機関車が代わりに牽引して東京まで行くというフロー。
東京機関区に全機がいた頃は、下関運転所に配置されていたEF65PFが代行でブルトレを牽引することがあり、これが東京駅発着のブルートレインにおけるEF65PF牽引の嚆矢になります。後に501~504号機の4両が下関に転じて、PF牽引は解消されましたが、PFにもしっかりとヘッドマークが付けられました。1092~1095号機もその倣いに従っての配置で、ブルートレイン牽引の仕事が無い時は、貨物列車でも牽引していたのかもしれません。
EF65PFのスノープラウについては、様々な意見や賛否があると聞きますが、前述のように私は後期型 (いわゆる “1100番代” ) については、 「無い方が良い」 派です。当時持っていたトミックスのEF65PFもスノープラウを外しちゃいましたしね。逆に初期形がスノープラウを付けないと、ホントに 「マヌケだな」 とは思います。もしかして、搭載しているパンタグラフに比例しているのかもしれませんね。PS17であればスノープラウはあった方が良い、PS22であれば無い方が良いといった具合に。
民営化後は、一部を除いて装着されるようになりましたが、どう捉えるかは、見た人それぞれの思いに委ねられることになります。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
レイルマガジン No.389 (ネコ・パブリッシング社 刊)
季刊 j train Vol.24 (イカロス出版社 刊)