事業者名:宮崎交通(宮崎)
使用・用途:都市間長距離高速路線仕様(高速「なんぷう号」に充当)
登録番号:宮崎200 か ・196
初年度登録:2006年式
シャシーメーカー:三菱ふそうトラック・バス
エンジン型式:三菱6M70(T4)型
ボディ架装:三菱ふそうバス製造
車両型式:PJ-MS86JP
車名:三菱ふそうエアロバス・ハイウェイライナー
撮影日:2008年5月9日(金曜日)
撮影場所:熊本交通センター
画像はおそらく再掲になるかと思います。大昔に撮ったものなので、ブログに掲載したか否かなんて忘れちゃいました。「君は今日から妻という名の僕の恋人・・・」
宮崎交通の名を聞くと、決まってこの 「フェニックス・ハネムーン」という歌を思い出します。
誰がいつ歌ったのかは知る由もありませんが、高校の修学旅行に端を発する “九州マイブーム” が自身に巻き起こり、当時は鹿児島交通に次いで、好きだったバス会社の一つでした。21世紀になった今、鹿児島交通は時代の変遷とともに、バスのカラーはもとより、会社組織までもが変わってしまいましたが、宮崎交通はそんなに変化が無くて、それはそれで嬉しいことかななんて思ってしまいます。でも、2005年には産業再生機構の支援を受けていたんですね。それでも宮崎県下においては、今も昔も宮崎交通がほぼ独占的にバス事業を展開しているのは凄いことだなって思います。
宮崎交通の名を聞くと、決まってこの 「フェニックス・ハネムーン」という歌を思い出します。
誰がいつ歌ったのかは知る由もありませんが、高校の修学旅行に端を発する “九州マイブーム” が自身に巻き起こり、当時は鹿児島交通に次いで、好きだったバス会社の一つでした。21世紀になった今、鹿児島交通は時代の変遷とともに、バスのカラーはもとより、会社組織までもが変わってしまいましたが、宮崎交通はそんなに変化が無くて、それはそれで嬉しいことかななんて思ってしまいます。でも、2005年には産業再生機構の支援を受けていたんですね。それでも宮崎県下においては、今も昔も宮崎交通がほぼ独占的にバス事業を展開しているのは凄いことだなって思います。
あと、 「宮交シティ」ね。
修学旅行で宮崎を通った時に、行き交う路線バスのその殆どが 「宮交シティ」 行きの方向幕を掲出していたのを覚えています。 「 “宮交シティ” って何だべさ?」 とその時は思ったものですが、今風に言えば、バスターミナルを兼ねた大型ショッピングモールといったところでしょうか。因みに至近にはJR日豊本線の南宮崎駅がありますが、宮崎行きだった寝台特急 「富士」 と 「彗星」 が一時期、南宮崎まで延長されたことがありました。その時は 「何で一区間だけ延長するんだろう?」 って不思議に思いましたが、南宮崎まで延長されたのは、駅構内に留置線があるのと、大型バスターミナルの宮交シティがあって、県内各所に行くバスが多数発着するからだと後から知りました。
修学旅行で宮崎を通った時に、行き交う路線バスのその殆どが 「宮交シティ」 行きの方向幕を掲出していたのを覚えています。 「 “宮交シティ” って何だべさ?」 とその時は思ったものですが、今風に言えば、バスターミナルを兼ねた大型ショッピングモールといったところでしょうか。因みに至近にはJR日豊本線の南宮崎駅がありますが、宮崎行きだった寝台特急 「富士」 と 「彗星」 が一時期、南宮崎まで延長されたことがありました。その時は 「何で一区間だけ延長するんだろう?」 って不思議に思いましたが、南宮崎まで延長されたのは、駅構内に留置線があるのと、大型バスターミナルの宮交シティがあって、県内各所に行くバスが多数発着するからだと後から知りました。
宮崎交通には今もなお、 “’80s”のバスが多く在籍しているということで、個人的には非常に注目しているバス会社なんですが、宮崎は先ず遠い。熊本や鹿児島とは違って、新幹線が走っていないので、飛行機以外では 「ソニック」 か 「にちりん」 にひたすら乗らなければならないのです。6年前に 「きりしま」 と 「にちりん」 を乗り継いで鹿児島から大分まで行きましたが (大分からは 「富士」 で一気に帰京した) 、何に置いてもまず 「疲れた」 というのが印象的でした。機会があれば、宮崎に行って、そういった “’80s” のバスを撮りたいのですが、疲れることを考えると、躊躇してしまいます。