遅かれ早かれ、近日中に 「踊り子」 に大きな変化が訪れます。昭和56年の運転開始以来、ずぅ~っと 「踊り子」 の運用に携わり、名実共に 「踊り子」 とともに頑張ってきた185系電車が近々 “卒業” するようで、その代替に 「あずさ」 で活躍したE257系が就くということ。修善寺行きの附属編成には、同じE257系でも房総特急に使われている500番代が充てられるという情報もありますし、251系 「スーパービュー踊り子」 の代替車両も発表されています。 「伊豆急の車両が東急のセコハンを使っているから、 「踊り子」 もセコハンを・・」 というJR東日本の姿勢にも憤慨しますけど、今はただ、37年にわたる185系の功績を讃えたいと思います。
「踊り子」 は、特急 「あまぎ」 と急行 「伊豆」 を統合・格上げして誕生したというのは有名ですが、運転開始当初は185系の他に 「あまぎ」 で使用した183系1000番代が残留。ただ、183系には5両編成というのが存在しなかったため、東京-伊豆急下田間の運用に限定されていました。その183系は、昭和60年に 「踊り子」 から撤退して長野運転所 (長ナノ~現在のJR東日本長野総合車両センター) に転属していきました。代わりにやって来たのは、新前橋電車区 (高シマ~現在のJR東日本高崎車両センター) にいた185系200番代。登場からしばらくの間は大宮を暫定的に発着していた東北・上越新幹線への連絡列車 (新幹線リレー号) として活躍していましたが、昭和60年の上野開業とともに 「新幹線リレー号」 としての役割を終え、上州方面の特急として残った他、一部が田町電車区 (南チタ~後のJR東日本田町車両センター) に転属して 「踊り子」 に充当されるようになりました。田町転属時から0番代のようなストライプ仕様のカラーに塗り替えられた車もあれば、塗り替えが間に合わず、緑の腹巻きを纏った200番代オリジナルカラーのまま 「踊り子」 運用に就いた車もありました。
運用上の問題から、早い段階で車種を統一した方が良いという声も当初からあったようですが、185系と 「踊り子」 は意外なほど人気がありまして、マニアは “特急らしい” 183系を好みましたが、一般の利用者は185系を支持する向きが強く、それも 「踊り子」 の車種統一に拍車をかけたと言われています。
今、申しましたように、運転開始直後から 「踊り子」 は人気がうなぎ上りでして、どの列車も連日満員御礼でした。昭和53年の伊豆大島近海地震で事実上の “死に体” になっていた伊豆半島が息を吹き返したのも 「踊り子」 の影響が大でした。同じ時期、その地震で寸断されていた国道414号線の天城峠が「河津七滝ループ橋」 という新たな名所を盛り込んで復興し、 「踊り子」 とループ橋を盛り込んだツアーも盛況でした。
そんな黎明期の 「踊り子」 に更なる色を添えたのが客車の 「踊り子」 でした。多客時に運転される臨時列車でしたが、昭和58年夏 (昭和57年暮れ説もある) から運行を開始した客車の 「踊り子」 は、品川客車区 (南シナ) 配置の波動輸送用14系座席車を使用しましたが、それ以上にマニアを喜ばせたのが牽引機関車でした。定期運用を持っていなかった東京機関区のEF58がその任に就いたのです (EF65PFの時もあった) 。
夜行を除く東海道本線東京口及び伊東線の客車列車は43.10改正で消滅しましたが、それから15年ぶり、 “特急” に限定すると、昭和35年の 「つばめ」 「はと」 の電車化以来でしたので、実に23年ぶりに東海道本線に “昼行客車特急” が復活したのです。これはマニアが喜ばないわけがないですよね。東京機関区のEF58は、59.2改正で61号機を除いて事実上姿を消し、その後はほぼほぼEF65PFが独占していました。だから、マニアの目当てはEF58 61が牽引する時になります。
また、14系だけでは手が足りずに、スロ81系和式客車を使った 「お座敷踊り子」 の運転も開始しました。普段は団体客しか乗らない和式客車に、乗車券と特急券 (+グリーン券) で乗れちゃうということで、こちらも人気が沸騰しました。そして、それ以上に人気を博したのが、昭和58年10月から運転を開始した 「サロンエクスプレス踊り子」 でした。同年夏に衝撃のデビューを果たして以来、連日スケジュールが詰まっていた欧風客車 「サロンエクスプレス東京」 。これを 「踊り子」 に充当するなんざぁ、よくスケジュールを押さえられたなと国鉄東京南鉄道管理局の営業姿勢に称賛の嵐が巻き起こりましたけど、盆暮れの繁忙期に設定されると、まず先に 「サロンエクスプレス踊り子」 の切符から売れていくことになります。基本的にお座敷客車とか欧風客車とかは一般の乗客は乗れないですからね。
「サロンエクスプレス踊り子」 が運転される時は、大概、EF58 61が牽引にあたりますが、ロクイチmに別の仕事が入っている時は、画像のようなEF65PFが牽引します。これに気をよくした国鉄は、逗子-中軽井沢間に 「サロンエクスプレスそよかぜ」 を運転しました。
その後も 「踊り子」 の快進撃は止まらず、民営化後の昭和63年夏からは伊豆急行の2100系 「リゾート21」 を使った 「リゾート踊り子」 の運転を開始。私鉄車両が天下の東海道本線に、天下の東京駅に乗り入れるという快挙を実現しました (実際には同年5月に快速 「リゾートライナー21」 としてプレデビューは果たしている) 。JRも負けじと平成2年には 「スーパービュー踊り子」 の運転を開始。 「リゾート21」 とともに、 “伊豆のツートップ” が押し寄せる観光客を捌いていました。
この2車両の人気は凄まじく、さしもの185系も一歩下がった脇役に転じ、気がついたら客車 「踊り子 (お座敷、サロンエクスプレス含む) 」 はフェードアウトしていきました。
今も昔もそうですが、私は伊豆に行く時は9割以上、車です。伊豆に行くのに 「踊り子」 を使うというのは殆どありません。で、たまに 「踊り子」 に乗る時は185系になりまして、残念ながら客車の 「踊り子」 は乗ったことがありません。ましてや、 「お座敷踊り子」 や 「サロンエクスプレス踊り子」 は、 “雲の上の存在” 的な列車でした。
道路網の普及 (特に伊豆縦貫道の開通) によって、伊豆半島の鉄道はジリ貧状態です。伊豆箱根鉄道駿豆線は通勤輸送で何とか持ちこたえていますが、伊豆急はかなりヤバい状況にあります。平成5年の 「アルファリゾート21」 以来、自社発注の新車が製造されていませんし、その 「リゾート21」 も5本あったうち、2本が廃車されてしまい (塩害で老朽化が早まったため) 、残る3本を騙し騙し使っているのが現状。そういう時だからこそ、積極的に 「踊り子」 や伊豆急には乗ってあげないと・・と思うんですけど、今の伊豆急に魅力を求めるのは難しいのかもしれませんね。651系改造の 「伊豆クレイル」 も、アルファリゾート21改造の 「THE ROYAL EXPRESS」 も、あまり 「乗ろう」 という気にはなれませんね。E257系はもっとでしょう。でも、いずれ 「踊り子」 はE257系に統一されてしまうようなので、そんな事は言ってられないんですけど、このままフェードアウトして欲しくないですね・・・。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.282 (交友社 刊)
名列車列伝シリーズ⑫ 「特急踊り子&JR東日本の新型特急電車」 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (踊り子、伊豆急行線、伊豆急行2100系電車)