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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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JNR LEGEND (539)

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イメージ 1

583系 「彗星」 、113系快速、そして153系新快速・・・と、如何にも 「That’s 関西っ!」 と叫びたくなるビジュアルです。
民営化後、車両の画一化が進み、首都圏も大阪圏も行き交う車両のバラエティ-から見れば、全く面白味が無くなりましたが、そうは言っても、大阪に行けば東京では見られない車両がいるし、関西の人が東京に来れば、大阪では見られない車両がいるので、そういった視点で “面白味” を見つけてみては如何でしょうか。

583系も113系も153系も東京と大阪、両方で見られましたが、そこは “東京と大阪” 。同一の車両なんだけど、 「似て非なる」 というか、 「同じでも非なる」 箇所が幾つか見受けられます。

例えば113系。
一見すると、湘南色に限って言えば首都圏も大阪圏も一緒ですけど、色だけ見ても大阪にはスカ色は無かったし (昭和40年代のほんの一時期だけね) 、逆に東京で灰色+青帯、赤帯の車両はお目にかかれなかった。 「福知山色は?」 という声も聞かれますけど、あんなの、国鉄色とは認めていないし。
昭和55年までは大阪圏でもグリーン車は連結されてたけど、廃止以降は首都圏でしか見られなくなりましたし、グリーン車連結廃止以降は関西の113系はどことなく落ちぶれたかなというイメージばかりが先行します。後輩の117系に道を譲るようじゃね・・。

例えば153系。
153系は東京も大阪も変わりないけど、やはり新快速での活躍が東京で活躍する同僚車を凌駕しているという気がします。中京圏では快速に使われていましたけど、同業他車 (155、159、165系) との混結で節操が無い仕事を熟していたことを考えると、やはり新快速運用が153系最後の “華” だったのかもしれません。
首都圏では最後まで急行運用がありましたけど、185系が登場すると皆、そっちに傾倒しましたしね。

例えば583系。
昭和50年代の583系は、青森運転所 (盛アオ~現在のJR東日本盛岡車両センター青森派出所) と向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) に配置が集約されていましたが、青森の車両は 「はくつる」 や 「はつかり」 等で昼も夜も無く働かされていましたが、向日町の車両は、昼間の運用は九州島内に限られていて、しかも 「有明」 と 「にちりん」 の運用だけでした。そういう意味合いからも、東京 (青森) の方が使われ方としてはタイトだったのかな?
また、青森は13両、向日町は12両と編成も異なってたし、青森はクハネ583、向日町はクハネ581という分け方もされていました (向日町に何両か、クハネ583あり) 。さらに向日町には581系もいましたから、車種のバラエティー的には向日町の方が上回っていたのかなという気がします。充当列車も向日町が多かったし。

今は年に1~2回ほど、大阪に出かけますけど、今の大阪も良いんです。でも、昭和国鉄の時代に行ってみたかったですね。153系や117系の新快速を見てみたかったし、関西でしか見られない国鉄車両を目の当たりにして興奮したかったです。

【画像提供】
岩堀春男先生



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