所有事業者:越後交通 (新潟)
仕様・用途:都市間高速路線仕様
登録番号:新潟22 か ・800
配置:三条営業所
シャシーメーカー:日産ディーゼル工業
搭載エンジン:日産ディーゼルRE10型
車体架装:富士重工伊勢崎
車体型式:富士重15型HD-
車両型式:P-DA67UE
車名:日産ディーゼルスペースウィング
撮影日:1989年3月21日 (火曜日)
撮影場所:池袋・サンシャインシティバスターミナル
池袋-新潟間を結ぶ高速路線バスも老舗路線になってしまいました。今は大宮発着便や新宿発着便が設定されたりしていますが、開設以来、 「ドリーム号」 とか 「ノクターン号」 とかの愛称が付けられていないのもこの路線の特徴で (強いて挙げるなら 「関越高速バス」 でしょうか) 、また、開設当初から西武バス (大宮発着便は西武観光バスが担当) 、新潟交通、越後交通の3社がずっと仲良く運行し続けておりまして、ある意味で頑なである一方、称賛もします。
越後交通は、新潟県の長岡を中心とした地域を営業エリアに持つ事業者ですが、創業104年の老舗企業。元々は鉄道事業を行っていまして、前身の長岡鉄道の社長に田中角栄氏が就いていたことでも知られています。その関係で、現在も筆頭株主は田中家です。
バス事業は1928年に中越自動車が創業したことが事の始まりでして、今年でバス事業開始から90年になります。
1960年に長岡鉄道、栃尾鉄道、中越自動車が合併して越後交通となります。なお、中越自動車は一時期、東急グループに入っていたことがあって、越後交通になっても東急グループのままでしたが、1966年にグループを離脱しています。
1975年に長岡線 (旧長岡鉄道) と栃尾線 (旧栃尾鉄道) といった鉄道線は廃止されて、鉄道事業から手を引き、バス事業に専念することになります (他に、不動産事業をやっているみたいです) 。
越後交通の路線バスカラーは、東急バスのそれに似ていますし、東急からの中古バスが多く活躍していますが、これもかつてグループにいたという名残りなのかなと思ったりします。
バス事業は1928年に中越自動車が創業したことが事の始まりでして、今年でバス事業開始から90年になります。
1960年に長岡鉄道、栃尾鉄道、中越自動車が合併して越後交通となります。なお、中越自動車は一時期、東急グループに入っていたことがあって、越後交通になっても東急グループのままでしたが、1966年にグループを離脱しています。
1975年に長岡線 (旧長岡鉄道) と栃尾線 (旧栃尾鉄道) といった鉄道線は廃止されて、鉄道事業から手を引き、バス事業に専念することになります (他に、不動産事業をやっているみたいです) 。
越後交通の路線バスカラーは、東急バスのそれに似ていますし、東急からの中古バスが多く活躍していますが、これもかつてグループにいたという名残りなのかなと思ったりします。
池袋-新潟間は、1985年に運行を開始したのですが、西武だけでなく新潟交通にとっても越後交通にとっても初の高速路線バスになります。そしてこの当時は高速路線バスとしては珍しかったスーパーハイデッカーを導入したことで話題になりました。まだ 「ノクターン」 も運行されていないし、 「ドリーム号」 にもエアロクィーンが導入されていない時期だから、スーパーハイデッカーの導入はもしかすると高速路線バス初なのかもしれないですけど。
で、新潟交通も越後交通もどちらかといえば、三菱とか日野とかがメインだったんですけど、スペースウィングを導入することに。これは運行上のプロデューサー的存在であった西武バスの意向によるもので、新潟側2社も西武に 「右に倣え」 的に導入することを決定したということです。それだけ西武は強かったんですね。後年、関越高速バスの金沢線にJRバス関東が参入する際にも西武は 「当社と同じ車で・・」 と要求してきたそうでして、JRに物申せるほどの力が西武にはありました。しかし、JRバス関東は 「我々にも意地っちゅうのがある」 と言ったか言わないかは定かではありませんが、スペースウィングではなくて三菱エアロクィーン・Wを導入しました。その辺がJRらしいといえばらしいんですが、当時のJRバス関東と三菱ふそうの蜜月は強固でした。でも、北陸鉄道、富山地方鉄道、頸城自動車は西武に従ってスペースウィングを導入しまして、池袋は日本でも屈指のスペースウィング密集地帯となりました。
で、新潟交通も越後交通もどちらかといえば、三菱とか日野とかがメインだったんですけど、スペースウィングを導入することに。これは運行上のプロデューサー的存在であった西武バスの意向によるもので、新潟側2社も西武に 「右に倣え」 的に導入することを決定したということです。それだけ西武は強かったんですね。後年、関越高速バスの金沢線にJRバス関東が参入する際にも西武は 「当社と同じ車で・・」 と要求してきたそうでして、JRに物申せるほどの力が西武にはありました。しかし、JRバス関東は 「我々にも意地っちゅうのがある」 と言ったか言わないかは定かではありませんが、スペースウィングではなくて三菱エアロクィーン・Wを導入しました。その辺がJRらしいといえばらしいんですが、当時のJRバス関東と三菱ふそうの蜜月は強固でした。でも、北陸鉄道、富山地方鉄道、頸城自動車は西武に従ってスペースウィングを導入しまして、池袋は日本でも屈指のスペースウィング密集地帯となりました。
画像のスペースウィングは増備車で、登録番号から1986~1987年に導入されたものと思われます。1987年に6往復に増便されていますので、その際に導入したのではと推察します。関越高速バスは基本的に昼行便と夜行便があり、それは今でも変わっていないようですが、そのような関係からか、この当時の仕様はトイレ付きだけど、4列シートでした。
スペースウィングはスーパーハイデッカーとしては珍しい、直結冷房を標準としていました。サブエンジン仕様はオプションというか、特別仕様だったようです (画像は標準の直結仕様) 。
スペースウィングはスーパーハイデッカーとしては珍しい、直結冷房を標準としていました。サブエンジン仕様はオプションというか、特別仕様だったようです (画像は標準の直結仕様) 。
当時の私は 「ふそう一辺倒」 で、他社は眼中になかったんですけど、そうは言ってもやっぱりスペースウィングを間近で見ると 「かっくいい」 とは感じました。二階建てバスにも同じことが言えますが、後輪二軸のスーパーハイデッカーの存在感は圧倒的です。
越後交通も新潟交通も後年、貸切仕様で二階建てのエアロキングを導入しましたが、前述のようにスペースウィング導入は本意ではなかったようです。越後交通と新潟交通の高速路線バスを見る度に 「西武に反旗を翻さないか・・?」 と思ったものです。新潟交通はエアロクィーン・Wの導入例はありますが、越後交通には無かったと記憶しています。AQWにこのカラーにも合いそうですけどね・・。
越後交通も新潟交通も後年、貸切仕様で二階建てのエアロキングを導入しましたが、前述のようにスペースウィング導入は本意ではなかったようです。越後交通と新潟交通の高速路線バスを見る度に 「西武に反旗を翻さないか・・?」 と思ったものです。新潟交通はエアロクィーン・Wの導入例はありますが、越後交通には無かったと記憶しています。AQWにこのカラーにも合いそうですけどね・・。
【参考文献・引用】
BUSRAMA SPECIAL No.11 「UDマークのバス達」 (ぽると出版社 刊)
バスマガジンスペシャル 「ユーザー系バスボディ完全ガイド」 (講談社ビーシー社 刊)
ウィキペディア (越後交通、高速東京新潟線)
BUSRAMA SPECIAL No.11 「UDマークのバス達」 (ぽると出版社 刊)
バスマガジンスペシャル 「ユーザー系バスボディ完全ガイド」 (講談社ビーシー社 刊)
ウィキペディア (越後交通、高速東京新潟線)