ベージュ+マルーンの関西急電色、灰色+青、ベージュ+マルーン帯の新快速色、灰色+朱色の関西線快速色、うぐいす+黄色帯の関西線色・・など、関西圏には首都圏では見られないカラーがいくつもありまして、また、117系などのように関西圏でしか見られない車両もあったりして、東京出身の私にとっては幼少の頃から関西はある種の羨望みたいなのがありました。それは 「逆もまた然り」 で、東京には関西圏では見られない色や車両があったから、双方同じ思いを抱いていたんでしょうね。
そしてもう一つ、国鉄時代において東京では見られない色がありました。それが 「青色の201系」 です。JR化後に京葉線に201系が投入されて、至極普通に見られるようになりましたが、国鉄時代は朱色と黄色しか見たことが無いので、やっぱり青色の201系は新鮮に見えましたね。
中学の修学旅行は京都でしたが、その時初めて青色の201系を見ました。もっとも、京都タワーから俯瞰してみていたのであまり 「見た」 という感触ではなかったのですが、それが私と青色の201系との初めての邂逅でした。
201系は昭和54年に試作車が登場しました。サイリスタ・チョッパ制御を始めとした数々の新機軸を盛り込んで 「省エネ電車」 と呼ばれたのをご記憶されている方も多いと思いますが、当然のことながら、試作車は1編成しかありませんので、いつやって来るか判らない状況の中で、201系が来るのをひたすら待った方もいるんじゃないでしょうか。
約2年に及ぶ営業運転を兼ねた試験を行い、その結果をフィードバックした量産車が昭和56年 (発注年度は昭和55年度) に登場して試作車同様、中央線快速に投入されました。その後、中央・総武緩行線にも投入されて初めてカラーバリエーションが現れまして、通勤電車の新時代が到来したと利用者は喜びました。
そんな中、昭和57年12月に京阪神緩行線にも201系の投入が決まり、7両編成×10本が当時の高槻電車区 (大タツ~現在のJR西日本網干総合車両所高槻派出所) に配置されました (営業運転開始は昭和58年2月から) 。
関西における201系の投入目的が何だったのかはっきりとしていませんが、背景には当時、各線にまだ残っていた101系の老朽取り替えがあって、同線の主力だった103系を本格的に置き換えるためではなかったものと思われます。当時、関西圏で101系といえば、片町線 (=JR学研都市線) と桜島線 (=JRゆめ咲線) 、そして関西本線 (=JR大和路線) が挙げられますが、老朽化は否めず、加えて水害で大量廃車になったのもありましたので、遠回しに201系の投入は急務だったのかもしれません。
昭和58年6月から59年3月にかけてさらに7両×13本が落成して今度は明石電車区 (大アカ~現在のJR西日本網干総合車両所明石支所) に配置されます。時期的に見て、これが冠水車両の置き換え用だったのかなって思ったりします。もしホントにそういう投入目的であれば、そのまま関西本線に投入すりゃあ良いんですけど、関西圏でもまず新車は大阪環状線や京阪神緩行線といった重通勤線区に投入して、余剰の車両を他線に転配させるというフローがあるみたいで、片町線は僅かながら新車はありましたけど、関西本線はあまり新車を直接投入というのは耳にしませんでした。そして昭和60年1~3月に7両編成×9本が新製されてやはり明石電車区に配置して、これで青い201系224両が出揃いました。
昭和61年には205系が新製投入されますが、7両編成4本が製造されただけで、201系を脅かす存在にはなり得ず、103系、201系、205系の体制で民営化を迎えます。
民営化後もしばらくはこの体制が続きますが、平成6年に民営化後初の新形車両となる207系1000番代が投入されると、103系がまず置き換えの対象となって同年3月で営業運転を終了、次いで平成17年には321系が登場すると、205系が置き換えの対象となって日根野電車区 (大ヒネ~現在のJR西日本吹田総合車両所日根野支所) に転属していきました。そして201系ですが、大阪環状線と大和路線で活躍していた103系を置き換えるためにそれぞれ森ノ宮電車区 (大モリ~現在のJR西日本吹田総合車両所森ノ宮支所) と奈良電車区 (大ナラ~現在の吹田総合車両所奈良支所) に転配されて、最終的に平成19年までに京阪神緩行線から201系が撤退しましたが、ここで逆転現象が起きます。
国鉄時代は朱色の201系は首都圏でしか、青色の201系は関西圏でしか見られませんでしたが、中央線快速から201系が撤退して首都圏で朱色の201系が見られなくなり、大阪環状線に転配された明石の201系は大阪環状線のラインカラーである朱色に塗られるようになりました。また、青色も関西では京阪神緩行線からの撤退で、青色は見られなくなりましたが、逆に京葉線に201系が転配されて青色に塗られたので、首都圏でも青色の201系が見られるようになりました。このように、東京と大阪でそれまで見られなかったカラーバリエーションが見られるようになったということで、当時は些か話題になりましたよね。なお、青い腹巻きの205系はJR発足から間もない平成元年に京浜東北線に投入されたので、早い段階から首都圏でも見られましたが、数は少なかったので (10両編成×4本) 、稀少といえば稀少でした。しかも、程なくして901系 (→209系) が登場したため、早い段階で転配されたので、馴染みが薄いのは否めませんでした。
そんな京阪神緩行線に集中配置されていた201系もいよいよ置き換えのカウントダウンが始まったようです。昨年、大阪環状線に323系が投入されて103系が撤退したのは記憶に新しいところですが、次なる置き換えは当然、201系ということになります。今春、毎年恒例の関西外遊に行った際も323系ばかりが目立ち、201系が極端に少なくなっているのが目で見ても判りました。完全置き換えは今年か来年かといったところでしょうけど、また一つ、国鉄時代を知る “生き証車” が消えるのは寂しい限りです。ただ、奈良の103系と201系はまだその話は大っぴらに聞かれないので、しばらくは活躍が続くと思われます。
今は朱色とうぐいす色で覆われている関西の201系ですが、登場したての頃はこのカラーだったのを忘れないで下さい。
【画像提供】
い様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.526 (交友社 刊)
鉄道ピクトリアル No.774、830 (電気車研究会社 刊)
キャンブックス 「103系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (国鉄201系電車、高槻電車区、日根野電車区)