「昭和西武」 、あるいは 「近代西武」 とでも言いましょうか、あらゆる意味で西武の概念を覆した革命車両が並んでいます。撮影場所は所沢駅でしょうか?
江戸川区に生まれ育った私は、幼少の頃、と言いますか、大人になって多摩に転勤するまで西武鉄道とは全くといって良いほどご縁がありませんでした。2004年4月まで殆ど (西武には) 乗ったことが無いんじゃないかな。当時、保谷に母方の叔父が住んでいたのですが (今は同じ西東京市内でももう少しひばりヶ丘寄りに引っ越した) 、その叔父宅に行くことは無かったし、やはり 「未知なる鉄道」 の図式は崩れませんでした。だから、所沢って言っても何処だか判らなかったし、小手指や飯能に至っては 「何処の国?」 というレベルでしたからね。入間は南伊豆町に同じ名前の集落 (漁村) があるので、そっちのイメージが強く、友人が 「入間の近くに住んでいる」 と言えば、お約束のように 「入間って、伊豆の入間?」 と聞き返していました。
画像を見る限りでは画層左側の通勤電車は101系なのか701系なのか判りませんが、ここでは一応、101系とさせていただきます。撮影時期にもよりますが、701系は昭和50年代後半になると、新宿線系統に集約されていって、実質的に池袋線系統では使用されなくなっているので、101系で間違いないとは思うんですけどね。
101系と5000系は私と同じ1969年生まれの車両で、秩父線開業時に用意された通勤と特急の二枚看板でした。この年はさらに、貨物用のE851形電気機関車も登場していますので、秩父線は単なる山岳路線ですけど、西武に変革をもたらしたのは間違いないようです。
101系は確かに701系や801系をベースにしていますけど、中身は全くの別物。メカニズム的にも山岳線を走るために、ハイパワーな主電動機を搭載したり、勾配用の抑速ブレーキを備えるなどしています。敢えて国鉄車両に準えるなら、701系が111系で、101系が115系といった感じでしょうか (でも、製造両数は101系の方が圧倒的に多いですけどね) 。
101系は秩父線用にとどまらず、池袋線や新宿線といった平地路線の通勤列車にも充当されるようになり、且つ、1979年以降の増備車は先頭車がマイナーチェンジして面持ちが変わり、西武通勤車両の中心的な存在になりました。
「レッドアロー」 こと、5000系は西武初の特急用車両で、10000系登場まで西武のフラッグシップとして長年、活躍しました。
昭和の西武特急というと、池袋線系統にしか運転されてなくて、池袋-西武秩父間の 「ちちぶ」 と池袋-飯能間の 「むさし」 の2列車が運転されていました。それは今も変わりありませんが、休日になると西武新宿まで足を延ばす臨時特急 「おくちちぶ」 が設定されていました。
赤電カラーなら701系だとすぐに判断出来るのですが、後に701系が黄色に塗り替えられると、正面だけでは判別がしにくくなりました。もっとも、側面は101系がツートンカラーだったのに対し、701系は黄色一色だったことから、そこが識別点だという方もいましたけど、画像を見る限りでは101系か701系か判らないでしょ?
もう一つ、冷房装置が識別点という人もいましたね。
101系も701系も登場当時は非冷房でしたが、101系は増備途中で冷房が搭載されるようになり、その時は集中式が採用されました。非冷房の冷房改造も順次、行われましたが、冷房改造車は分散式が採用されています。701系の冷房改造は集中式が採用されていますので、分散式のクーラーが載っていれば、それは101系と識別出来るんですが、集中式が来るとどっちがどうだか判らないので、決定的な識別点とは言えないです。
5000系のヘッドマークが電照式を取り付けていることから、1978年以降の撮影であると思われますが、その事からも101系で判断して差し支えないと思います。
気がつけば、一部の支線を除いて3扉車は全て姿を消し、昭和の時代には唯一の4扉車であった新宿線用の2000系も数を減らしていると聞きます。3扉で通勤客を捌けていた時代から考えると、西武の進化や進歩にはめざましいものを感じる昨今です・・・。
【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
ウィキペディア (西武101系、701系、5000系)